瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

宇井無愁の上方落語研究(4)

角川選書11『日本人の笑い』(3)
 宇井氏は作家なのだが、2月9日付(2)に引いた六版のカバー表紙の紹介文には「落語研究の第一人者」とある。この評価は決して過褒ではなかったと思うのだが、一般的でない上方落語を対象としている点、それから、特に原話研究に関しては網羅的な作業であったため、宇井氏の記述していることのうち、どこまでが先行研究に済まされている内容で、どこからが宇井氏が独自に付け加えたかが分かりにくいと云う難点があり、現在、余り参照されていないようである。或いは参照されても事典のような利用をされて、宇井氏の著書を活用した研究でも宇井氏には言及せずに済まされてしまう、と云うこともあるのではないか、と思う。いや、本当に忘れられているかも知れないが。
 ところで本書は、六版の紹介文にある通り「上方落語研究」が主題ではなく「落語研究の第一人者」が標題の主題を民俗学を活用して考察したものなのだが、落語研究から発展させたものであろうから別に記事を立てずに一括して置く。
 六版のカバーには2月10日付(3)に抜いたように、2箇所「――本文より」として本文が引用されているが、本文そのままではない。これについて一応確認して置こう。
 カバー裏表紙の「――本文より」は7章め「笑話の誕生」(178〜221頁)の2節め「笑話の条件」(184頁10行め〜)の冒頭の2つの段落(184頁11行め〜185頁4行め)を纏めたものである。カバー裏表紙に抜かれている箇所を太字にして示した。

 笑いが武器だった時代には、人は敵を作るか憎まれるかする危険を冒さずには、うかつに笑えなかった。だが、笑いが労働エネルギーの再生産に役立つことがわかり出すと、笑わずにはいら/れなくなる。そこで百方手をつくして、あたりさわりのない笑いの対象を物色した。
 笑ったために敵にまわす気づかいのない相手に動物があった。動物笑話がそうして生まれた。【184】つぎに子供、不具者、敗者、つまり弱者を笑った。また誰もが共通にもっている弱点、たとえばセックスを笑い、焦点の散漫な悪口の交換で笑い、仲たがいになる心配のない親友をからかい、/それでも足りなくて、笑うべき架空の人物をさがし求めた。そのヤリ玉にあがったのが、昔話の/人物である。


 カバー表紙折返しの「――本文より」は、1章め「日本人の笑いの条件」(9〜29頁)の最後、5節め「ジャパニーズ・スマイル」(26〜29頁)の末尾に近い方、28頁11〜14行めの段落をほぼそのまま抜いている。

 そこで、死や困難や苦痛や失敗や悲嘆に直面した日本人は、笑うべからざる時に笑顔をつくる/理由が、わかってくる。死や困難や苦痛や失敗や悲嘆は、いずれも目にみえない「敵」である。古代人の感覚では、悪霊や死霊の襲撃にほかならない。この「敵」に対して現代の日本人も、無意識に「防禦の武器」を面上に用意して、本能的に抵抗の姿勢を示すのである。


 ここでは「防禦の武器」を鍵括弧で括るが、カバー表紙折返しでは「防禦」のみを括っている。しかしこれはもちろん「防禦の武器」までを括るのが正しい。(以下続稿)