瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(28)

・豊田善敬・戸田学 編『桂米朝座談』(3)
 正岡容『艶色落語講談鑑賞』執筆に際し、桂米朝が協力したことは『1』に収録されている落語速記、173〜193頁、四「島巡り」、173頁は扉、中央に明朝体縦組み「四 島 巡 り   桂 米朝」、175〜192頁に2段組で本文、193頁は段組なしで「解説『島巡り』」、冒頭2〜3行め、

 この速記は平成元年四月二十三日に京都府立文化芸術会館で「桂米朝一門会」を催した際の記/録です。‥‥

とあり、3段落め(10〜12行め)に継承の経路を述べる。

 私のは四代目桂文団治師の聞き覚えに、私の師匠米団治芸談、それに橘ノ円都師の演出も参/考にしています。手長島の男の手と足長島の女の足で二つの島へ橋が架かって、その下を帆掛船/が通る――というクスグリは円都師の演出です。


 そして最後の4段落め(13〜15行め)に、

 文団治師は寄席でもこのネタを出していました。正岡容さんは京都新京極・富貴での文団治師/の『島巡り』の見聞録を『艷色落語講談鑑賞』(あまとりあ社)に詳細に記載しています。もっと/もその執筆の際には私も手紙で正岡さんのお手伝いをした覚えがあります。


 『艷色落語講談鑑賞』30頁2行め〜46頁「上方落語/島 め ぐ り」は、昭和26年(1951)2月4日(節分・日曜日)の夜席での桂文團治の「島めぐり」について詳述しているのである。このとき正岡氏は師事した吉井勇(1886.10.8〜1960.11.19)孝子夫妻と同行しており桂米朝は一緒でなかったようだから、後日正岡氏から細部について確認を求められたのを、2月18日付(25)に見たような手紙によって答えていたのであろう。(以下続稿)