瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(32)

戸田学上方落語の戦後史』(2)
 昨日の続きで、戸田学上方落語の戦後史』の、正岡氏の宝塚訪問の折の記述を見て置こう。
 これは、135〜192頁「第三章 凋落期(昭和二十五年〜三十一年)」の15節中11節め、180頁16行め〜184頁2行め「桂小文枝誕生」に添えられている。
 183頁3コマめ〜184頁2行め、

 さて、「宝塚若手落語会」に、正岡容が来たことがある。米朝に「宝塚へ行きたい」と言ったのであ/る。戦前に少女歌劇団の女優と交際していたこともある正岡は、宝塚の遊園地などを見ると非常に懐か/しがった。上機嫌であった。
 この時の落語会の観客の入りは少なかった。十人足らずであった。それでも正岡は一番前に陣取って、/「おい、頼むよォ〜!」と大きな声援を送っている。
 さて楽屋である。
 「おい、何を演ろう?」
 「今日の他の客はほっておいて、正岡先生中心に演ろう」
 話は決まった。米朝が言った。
 「先生は賑やかなのが好きやし、東京ではハメモノ入りの噺は滅多に聞かれへんから、悦ちゃん(桂米之助)は『軽業』を演り、わしは『親子茶屋』を演るわ」
 鳴物は楽屋総出で、枝鶴が太鼓、春坊が鉦、他に松之助、小つるもいた。
 米之助の『軽業』でハメモノが入るたびに正岡は、「いいぞォ〜ッ!」と上機嫌で声援を送る。「静か/になったな」と見ると寝ていた。
 終演後、楽屋へ入ってきた正岡は「いや、たいへん結構だ!」と嬉しそうであった。
 「このへんで一杯飲めるところはないかい?」【183】
 「おまっせ!」
 正岡は、米朝、春坊とともに酒席へと席を移した。


 かなり具体的である。しかしどうも、腑に落ちないのである。それと云うのも前回触れた、2月20日付(27)に引いた、桂米朝晩年の対談での回想と、余りにも食い違っているのである。
 最初の段落は大体一致する。しかし、落語会の様子がまるで違う。何遍も来たとは思えないから、同じ会のことだと思うのだけれども。
 すなわち、戸田氏は「入りは少な」く「十人足らずであった」と述べるが、回想では「客もよく入っているじゃないか」と正岡氏が言ったことになっている。
 戸田氏は「正岡は」客席の「一番前に陣取って」と述べているが、回想では「客席やなしに舞台袖で見ていて」と云うのである。
 なお、戸田氏の記述中、米朝が演目を指定する台詞の後半「悦ちゃんは『軽業』を演り、わしは『親子茶屋』を演るわ」であるが、連用形の「演り」で命令形よりも軽い命令を表す。但しこの場合、ここで一拍置いて――命令形と同じく一旦言い切るので「悦ちゃんは『軽業』を演り。わしは『親子茶屋』を演るわ」の如く、読点ではなく句点にするべきだと思う。とにかくここも読点では、大阪弁に慣れていない人間は通常の連用中止法と誤読しかねないと思う。
 話を回想との齟齬に戻す。――そして戸田氏は、桂米朝、桂春坊(後の二代目露乃五郎・二代目露の五郎兵衛)と「酒席へと席を移した」と云うのであるが、回想には「その時はまだ明るかったから酒も飲まずに宿へ引きあげましたよ」とある。
 一体どっちが正しいのだろうか。(以下続稿)