瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『黒い福音』(3)

 2月2日付(1)の続きで、この事件にまつわる怪異談について。――しばらく松本氏の小説には全く触れないと思うのだけれども、一応は同じ事件に関すること(?)なので、この題で纏めて置く。
 2011年10月5日付「『現代の民話・おばけシリーズ』(07)」に取り上げた、日本児童文学者協会/採集・編『現代の民話・おばけシリーズ 5/ま夜中に鳴るピアノ』(1975年7月発行・定価780円・偕成社・212頁・A5判上製本)101〜107頁、さかもとせつこ「もうひとりのスチュワーデス」を読んで*1、その末尾、107頁4行めに下寄せで小さく「(スチュワーデスMさんの体験談による)*2」とあるのを見て、このシリーズの他の話と同様に、著者のさかもと氏が「Mさん」に直接取材したのだろうくらいに、何となく思ってそれ以上の追求をしなかったのだが、その後、次の本にも同じ話が出ているのを見て、共通の典拠があるらしいと気付いたのである。
・日本むかしばなし[23]ジェット機とゆうれい』日本民話の会 編・金沢祐光 絵・発 行■1981年12月 第1刷©・1988年2月 第6刷・定価 760円・ポプラ社・139頁・A5判上製本
 9人の執筆者によって12題、その12番め(107〜127頁)が松谷みよ子スチュワーデスの民話*3」で、107〜112頁「ふりそで」113〜117頁「広 島*4」118〜127頁「かたにおかれた手*5」の3話である。
 この事件にまつわる怪異談「ふりそで」の詳しい検討は次回以降果たすこととして、ここでは残り2話の内容について触れて置こう。
 「広 島」は、広島市のKホテルの○○○号室に泊まった新米スチュワーデスの森久美子が入浴中、浴室の鏡に被爆者たちの姿を見た、と云う話で、先輩たちも1回2回と同じ部屋で同じ体験をしていたと云うのである。国際線で広島に着いたスチュワーデスが翌日、東京便勤務に就くために、市内のKホテルに航空会社が確保している部屋に泊まるのであるが、同様の、旅行関係者専用の部屋に怪異が起こると云う話は、小池壮彦が某トラベル会社に勤める友人・吉永君の話としてしばしば紹介していた。例えば『東京近郊怪奇スポット』20〜21頁「〈ほぼ百%出るあるホテルのある部屋〉静岡県熱海市・Kホテル〔穴場〕」*6のような、客室に出来ないので「添乗員の泊まる部屋」となっている部屋が、あるらしい。――私はそんな部屋に泊まったことがなく、旅行業界に就職した知人もいないではないが、音信不通になっていていきなりこんな話題を振る訳にも行かない。
 ちなみにこの話の当時は、現在の広島県三原市の広島空港*7ではなく、広島県広島市西区観音新町の広島空港であったので、市内に泊まったのである。この旧広島空港は昭和36年(1961)から平成5年(1993)までで、その後、広島西飛行場と改称され、現在は飛行場としての供用も廃止され広島ヘリポートとなっている。
 「かたにおかれた手」は、昭和45年(1970)に新入スチュワーデスの光子が初めて飛行機に乗務するに際しインストラクチャースチュワーデスとして付き添ってくれた先輩スチュワーデスT子が、昭和46年(1971)7月30日の雫石事故で死亡する。昭和50年(1975)夏に同じ千歳空港発羽田行の全日空機に乗務した光子は階下のキッチンで、真っ青なT子に血に染まった手袋をした手を肩に置かれ「すっかり一人前になったのね」と褒められる。光子はまもなく退職し他のスチュワーデスたちもしばらく階下のキッチンに入るのを嫌がった、と云う結末で、所謂「寿退社」が当然で女性は20代で退職するような時代だったとは言え、今流行の言葉で云えばパワーハラスメントに遭ったような按配である。(以下続稿)

*1:9月28日追記】「呼んで」と誤っていたのを訂正した。この記事も続稿を書かないままになっていた。そのうち再開したい。

*2:ルビ「エム・たいけんだん」。

*3:ルビ「みんわ」。

*4:ルビ「ひろ しま」。

*5:ルビ「て」。

*6:2013年2月26日付「小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』(1)」及び2013年2月27日付「小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』(2)」参照。

*7:平成5年(1993)10月開港当初は新広島空港であったが平成6年(1994)に広島空港と改称されている。