瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

事故車の怪(7)

 3月24日付(6)に、今野圓輔『幽霊のはなし』に取り上げられた、昭和46年(1971)頃に青森県で話題になっていた事故車の怪異「首だけの幽霊話」に触れたが、似たような事故車の怪異の先行する例が、初見健一『昭和ちびっこ怪奇画報』に載っていたのである。すなわち、3月26日付「初見健一『昭和ちびっこ怪奇画報』(2)」に細目を示した「怪奇」の章の42〜43頁「通夜の主だった乗客(1970年)/南村喬之」の、中心になる話題は原題「○幽霊―通夜の主だった乗客*1」からも察せられるように、かつ43頁に添えられた初見氏のコメントにも「自動車に関連した実話特集。典型的な「タクシーの女幽霊」をジメッとしたタッチで活写」とあるような普通のタクシー幽霊なのであるが、下部に4つ枠を設けて別に4話「自動車に関連した実話」を紹介している。その左下、4話めに、ゴシック体で、題は大きく、

■首の骨を折った女の幽霊
 一九六六年秋、北海道で、車を運転/していた女が、窓から首を出したとこ/ろ、後続車にぶつけられ、首の骨を折/って死んだ。以来、その車のバックミ/ラーに、夜な夜な女の顔がうつり、当/時三十万円だったこの車も、六千円で/青森に売られた。*2

とある。話の内容の検討は次回以降に回すこととして、ここでは時期に注目して置きたい。
 既に見たように「作品一覧」には、266頁25行め「通夜の主だった乗客/南村喬之/『少年マガジン』26号、1970年6月21日」とあって、今野氏が青森県で流行したとする時期の1年前に、当時150万部を発売していた「週刊少年マガジン」に類話が掲載されていたのである。しかも、その車は北海道から転売されて青森県に来ていたと云うのである。転売された(とされる)時期は明らかではないが、これがくすぶっていて昭和46年(1971)頃の流行に繋がったのかも知れない。――とにかく、今野氏の云う「地もとの新聞」は昭和46年を中心に、昭和41年(1966)から昭和47年(1972)まで範囲を拡げて調べて見る必要がありそうだ。やるのが大変だけれども。
 それはともかく、「週刊少年マガジン」が直接、編集者が風聞を元に取材したとか、愛読者からの葉書で知ったとも思えないから、何か典拠がありそうである。これも当時の雑誌・書籍等が対象となるであろう。
 こういうメディアの調査を、従来の研究では2013年2月22日付「七人坊主(39)」及び2013年2月21日付「七人坊主(38)」に述べたように、小池壮彦を例外として、しっかりやっていないことが、私は気になっている。
 しかし小池氏も、私は『戦後怪談史事典』もしくは『近代怪談史事典』を待望しているのだけれども、このままでは「「事件」になった戦後の怪談・奇談年表」で終わってしまいそうである。いや、3月13日付「田中康弘『山怪』(2)」に触れた朝里樹『日本現代怪異事典』を見たが、帯の紹介文に「戦後から二〇〇〇年前後に/ネット上に登場する怪異まで/日本を舞台に語られた/一千種類以上の怪異を紹介!」と謳う『事典』なのだから小池氏の作業の事典化は最早必要でなくなってしまったかも知れない、との恐れを抱いたのだが、全くそういう種類のものではなかった。――だからやはり、小池氏に期待しているのである。
 分野を絞って新聞・雑誌まで精査したものとしては、2016年12月18日付「松山ひろし『真夜中の都市伝説』(1)」等に取り上げた松山ひろし『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』があるが、読者の限られる書籍と違って、かなりの影響があったはずだのに全体像を示すような、それこそ『事典』的な作業がない。出来るとすれば小池氏だと思っているのだけれども、小池氏がやらないのであれば、差当り国際日本文化研究センターのデータベース「怪異・妖怪伝承データベース」辺りでやってもらえないだろうか。
 いや、その前にどこか、瑣末亭主人 編著『昭和十四年の赤マント』を、来年2月の赤マント流言80周年記念出版として引き受けてもらえないでしょうか(笑)。――2014年2月28日付「赤いマント(128)」まで連載し、以後は断続的に続けて2017年9月14日付「赤いマント(158)」で中断していますが、追加資料は若干蓄積出来ているので遠からず続稿を上げる予定です。(以下続稿)

*1:黒地に白抜きゴシック体、ルビは明朝体「ゆうれい・つや・ぬし・じようきやく」。

*2:ルビ「くび・ほね・お・おんな・ゆうれい/ねんあき・ほつかいどう・くるま・うんてん/おんな・まど・くび・だ/こうぞくしや・くび・ほね・お/し・いらい・くるま/よ・よ・おんな・かお・とう/じ・まんえん・くるま・せんえん/あおもり・う」。