瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Prosper Mérimée “La Vénus d’Ille”(5)

・西本晃二 編訳『南欧怪談三題』(2)
 昨日の続き。
 135〜161頁、西本晃二「解題」は135頁2〜5行め、

 まず「解題」の常道にしたがい、作者と作品の解説から取りかかることとしよう。
 本書で訳出した、それぞれ別の作家による作品三篇は、その発表年代とは逆の順序で配列して/ある(この順序にも、後述するように意味がある)。ここでもその順序にしたがって、最初にくる/『鮫女』*1の作者ランペドゥーザから始める。

とあって1行空けて135頁6行め〜139頁4行めまで。次に1行空けてアナトール・フランス「亡霊のお彌撒」について139頁5行め〜140頁5行め(計16行)。1行空けて最後にプロスペル・メリメの「ヰギヱのヴェヌス」について140頁6〜15行めで、一番分量が少ない。

 最後に来るのが、時期的には一番早いプロスペル・メリメ(一八〇三〜一八七〇)である。メリメは/小説家として『シャルル九世年代記、そしてなによりもビゼーのオペラ『カルメン』の原作とな/った同名の短篇の作者として有名である。だが同時にフランス「金石文アカデミー」の会員でも/あり、ナポレオン三世第二帝政期には遺跡修復官として、時には恣意的という批判を蒙らなか/ったわけではないが、古代・中世の遺跡保存に活躍した。こうした経験が、今回訳出した『ヰギ/ヱのヴェヌス』の登場人物、地方のアマチュア考古研究家ド・ペイルホラード氏のお国自慢、こ/じつけの史跡解釈と、そこから生まれた自説への固執、などに反映されているといえよう。
 今回の翻訳の底本としては、パリのカルマン・レヴィ社刊行の『メリメ全集』全十九巻の第三/巻、『コロンバ』(年記なし)の総題のもとに、『コロンバ煉獄の魂』とともに収められている/ヰギヱのヴェヌス』を用いた。*2


 「カルメン」を「短篇」としているが、岩波文庫で1冊、杉捷夫・江口清 訳『メリメ全集』2 小説2(昭和五十二年三月一〇日初版印刷・昭和五十二年三月二五日初版発行・河出書房新社・461頁・四六判上製本)では、それぞれの扉(129〜130頁・351〜352頁)を除いて「イールのヴィーナス」が131〜162頁、「カルメン」が353〜413頁、ともに杉捷夫訳である。――同じ組み方で本作の倍近い分量の「カルメン」は短篇ではないだろう。
 2017年6月17日付(1)に取り上げた杉捷夫編訳『メリメ怪奇小説選』を、2017年6月15日付「Prosper Mérimée “Colomba”(1)」の【7月31日追記】に述べたように高3の夏休みの終わりに読んだのであるが、当時は地元の歴史を調べるのに郷土史の本を読むことはあっても郷土史家との付き合いはなかったから、この手の困った善人について、別に感慨もなかった。いや、既に父の叔父が、父の郷里の近くに邪馬台国があったと主張していた(!)のを聞かされていたかも知れない。勿論、邪馬台国の候補地としては全く問題になっていない場所である。幸い(?)私はこの大叔父の話は直接聞く機会がなかったが、――浪人生活に入ってまもなく、相次いで歿した祖父母の葬儀の折、役場を退職後、郷土史の研究を始めた父の義兄の話を聞かされたのである。聞いている傍から受験生の私にも分かるレベルの基本的な歴史的事実の間違いが続出して、しかし余りの熱弁に、口を挟んで一々訂正する訳にも行かず、困ったことがあった。その後の、私は行かなかった初七日の法事で、同じような話を聞かされた父*3が、うっかり「自費出版したらどうか」と言ってしまい、四十九日の法要で何百枚もの原稿用紙を渡され自費出版について相談を受けることとなってしまった。持ち帰って読んでみると内容も文章もとても表に出せるレベルではないので父も困ったが、たびたび出版について催促するような電話が掛かって来たのである。当時、父はまだ退職前で、かつ携帯電話のない時分だったから、私や母が電話に出て、いても父はいないことにしてしばらくやり過ごしたものである。結局、その後、お盆だかに直接会った折に、自費出版には何百万も掛かる、と云う話をしたら忽ちそれまでの気合いが失せてしまったとのことで、そのまま立ち消えになったのである。今、念のため国立国会図書館サーチでその伯父の名前を検索してみたが、幸いなことにヒットしなかった。
 その後30年近く経って、その間、郷土史家と直接話したり、郷土史家に限らぬアマチュア研究家の著述を読むにつけ、本作のリアリティと云うものがしみじみと(?)感じられるようになったのである。(以下続稿)

*1:ルビ「セイレン」二重鍵括弧開きは半角。

*2:灰色にした二重鍵括弧は半角。

*3:葬儀の当日は忙しくしていたので、そんな話の相手をする余裕がなかったのである。