瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Prosper Mérimée “La Vénus d’Ille”(22)

・I giochi del diavolo “la Venere d'Ille”(11)
 このところ連日見ていたせいで、TVドラマの主題曲が頭から離れない。それから、恐怖が迫って来る場面の音楽も。
 それはともかく、このTVドラマについては何日か掛けて最後まで通覧して気になった点をメモして、さらに何日か原作との相違についても簡単にメモした上で、漸く連日記事として上げられそうに思えたので4月14日から、休日には1日分余分に書き溜めて、何とか上げて行った。場面によって精粗区々だが、差当り最後まで大まかな筋を追うことは出来た。これでイタリア語が分かれば完璧なのだけれども。
 現在、怪談や怪異小説がかなり流行っているらしいのだけれども、こうした日本に紹介されていない海外の映像作品の方も、何とかならないものだろうか。
 さて、原作では、作者本人と思われる主人公(語り手)が、その歴史記念物監督官(Inspection générale des monuments historiques)としてのルシヨン地方への公務旅行の途次、ド・P氏に紹介された Peyrehorade 氏を訪ねるのである。鉄道のない時代のこととて、アルフォンス君の結婚と、女神像の発掘とは偶然、重なったことになる。道案内に雇った男が、つい2週間前の女神像の発掘に立ち会った人物で、発掘時の状況を聞かされながら Ille の町に向かう。TVドラマでは案内人は発掘に立ち会った人物とは別人になっている。そして、町に入る前に、発掘現場を見ているようである。
 そのTVドラマの主人公は Matthew と云う名前で、同じ名前にしなかったことで作者本人からは距離が設定されている。どの程度作者から離れているのかは、言葉も分からずに見た限りでは分からないのだけれども、それ以上に大きな相違は、TVドラマでは、クララと云う名前を与えられている Mademoiselle de Puygarrig に対する思いである。
 原作では、旅行の途中で偶然立ち会うことになったこの結婚について、新郎と新婦のそれぞれを観察した上で、せいぜい次のような感想を抱くに止まる。

  — Quel dommage, me dis-je en quittant Puygarrig, qu’une si aimable personne soit riche, et que sa dot la fasse rechercher par un homme indigne d’elle !


 4月10日付(09)に倣って、杉捷夫(岩波文庫)西本晃二(未來社)平岡敦(岩波少年文庫)の訳を挙げて置こう。
 杉氏の訳、146頁4〜6行め。

 「なんとも惜しいことだな。あのように美しいひとが金持であるばかりに、その持参金のお/かげで自分に値しない男に見こまれるとは!」私はピュイガリィグを去るに際して心中に独り/こう思ったのである。


 西本氏の訳、108頁6〜8行め。

「なんとも情けない話だ!」と、ピュイガリッグを立ち去りながら、私は独り言*1ちた。「かくも愛/すべき女*2に資産があり、持参金があるがために、自分に値しない男のものとならなければならん/とは!」


 平岡氏の訳、221頁13行め〜222頁1行め。

 「彼女はあんなに感じがいいのに」ピュイガリッグの村を去るとき、わたしは内心思っ/た。「金持ちなのがかえって仇になったな。持参金目あてに、ふさわしくない男がよって*3【221】くるのだから」


 TVドラマでは、4月18日付(16)に述べたように、アルフォンスに殊更に軽薄な振舞をさせ、主人公が直接、新婦クララにこのようなことを言うことにしている。
 これは、ナレーションを入れないで映像化する場合によく目にする、心に思ったことを言葉にして、登場人物の考えをより明確に描写する、と云う手法を使ったのだが、そこからさらに踏み込んで、原作ではせいぜい好感を抱く程度だった主人公が、新婦クララに明らかな好意を抱くような、すなわち三角関係のような按配に、TVドラマでは設定を変えている。そしてそこに、女神像を絡ませるのである。(以下続稿)

*1:ルビ「ご」。

*2:ルビ「ひと」。

*3:ルビ「あだ・じ さんきん」。