瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

K病院の幽霊(1)

 それでは昨日、5月4日付「事故車の怪(10)」に予告した、小池壮彦(1963.2.14生)が昭和57年(1982)夏に入院した世田谷区のK病院での体験について、平成8年(1996)刊『東京近郊怪奇スポット』と平成12年(2000)刊『幽霊物件案内』とを照合することとしよう。
 当初は「事故車の怪」に含めて簡単に済ませるつもりだったのだが、記述に齟齬があり、話自体にも何だかおかしなところがあるので、別に検討して見ることにしたのである。
 まづ、『幽霊物件案内』の「デンマさんのドロップ」の、昨日引用した冒頭部に続く160頁7〜11行めから見て置こう。

 
 およそ二十年前に、私が事故で運ばれたときは、その病院の大部屋に、患者が五人いた。車に轢か/れて右腕を折ったヤスイさんという七十五歳の人、バイクを転倒させて両足の大腿骨を複雑骨折した/ヤケベさんという四十歳の人、壁の塗装をしていて足を踏み外し、二階相当の距離を顔から落下した/ウベさんという二十五歳の人、どこが悪いのかわからないデンマさんという六十歳ぐらいの人、そし/て、バイクの事故で右足を骨折した十九歳の浪人生、キノくんの五人である。


 これも昨日冒頭部を引用した『東京近郊怪奇スポット』30〜31頁〈ギプスを巻きたがる病院の代替わりする亡霊のうわさ〉は、同じ入院体験について述べてあるには違いないのだが、題からも察せられるように、話の眼目が異なっている。この本の概略は2013年2月26日付「小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』(1)」及び2013年2月27日付「小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』(2)」に述べた。題の下に「世田谷区・K病院〔名所〕」と、場所と分類(?)が示され、31頁の略地図にある文字は「経堂」駅のみ、その下の〔怪奇現象発生の頻度〕〔深夜の現場の恐怖度〕はともに5点満点で「☆☆☆」である。
 『幽霊物件案内』では、ただ1人完治したヤスイさんの奥さんから、題にもなっているデンマさんがくれたドロップを舐めないように注意される。このドロップが、他の入院患者の怪我がなかなか治らない原因だ、と云うのである。そもそもは、ヤスイ夫妻とデンマさんが些細なことから喧嘩になったとき、デンマさんが翌朝、詫びを入れドロップを渡そうとするがヤスイさんは受け取りを拒否、そこで仕方なく他の入院患者に配り、以後、ヤスイさん以外のみんなでデンマさんのドロップを食べるようになった、と云うのである。
 ところが『東京近郊怪奇スポット』にはデンマさんは登場せず、もちろんドロップにも触れるところがない。ヤスイ夫妻もウベさんも登場しない。『幽霊物件案内』161頁14〜17行め、

 私はこの病院にいるとき、夜中によく一階のロビーで、ヤケベさんとキノくんと三人で世間話をし/ていることがあった。そのときに、「デンマさんとは何者なのか?」と質問した。すると、ヤケベさん/もよく知らないらしいのだが、どうやらあの人は、病院に住んでいるようだという。医者もあの人の/ことは回診しないし、きっとどこも悪くないのだろう、ということだった。

と云う、同部屋の者たちとの会話については『東京近郊怪奇スポット』31頁〈怨念の系譜〉の5〜6行めにも、

 私はここに入院している時、牢名主と浪人生と3人で夜中に1階のロビー/で談笑することがたびたびあった。‥‥

とあって一致するが、牢名主の怪我の説明が、9〜10行め「‥‥。彼は車にはねられて両足の大腿骨を複雑骨折していた。」となっていて原因が異なっているし、30頁6〜8行め「‥‥。その人の下半身は、ギプスですっぽり固められ、足先だけがち/ょこんとのぞいていた。どういう処置を施されたものか、親指はもう腐りかけていた。入院して四年/になる、と彼はいった。」という具体的な説明も『幽霊物件案内』にはない。
 『幽霊物件案内』で患者たちの入院期間について触れているのは、160頁12〜13行め、

 この中で、ケガが完治したのは、ヤスイさんだけだった。彼は一年前から入院していて、ようやく/骨がくっついたと言って喜んでいた。ほかの人は、もう何年も入院しているのに治らない。

とあって、ヤスイさんが「一年前」で他の人は「何年も」となっている。ヤケベさんの入院期間は『東京近郊怪奇スポット』に拠れば「四年」、すなわちデンマさんのドロップを食べ始める前に3年の入院期間があったのであり、ドロップ云々と云うより病院の対応に根本的な問題があったと云うべきであろう。『東京近郊怪奇スポット』31頁〈怨念の系譜〉には、11〜12行め、

「1年はかかると思ったがね」と牢名主はいった。「まさか4年経っても埒が/明かないとはねえ」

とのぼやきが書き留められている。しかし、この部屋の健康な住人デンマさんはともかく、残りの2人が「何年も入院している」とは思えないのである。『幽霊物件案内』162頁2行め〜163頁12行めに、同部屋の面々がデンマさんからドロップをもらう切っ掛けになった、ヤスイ夫妻とデンマさんの喧嘩の一部始終が語られているが、喧嘩の原因と云うのが顔が腫れ口の中も外も縫合しているウベさんに、ヤスイ夫人が家で拵えてきた大学芋を食べるよう夫婦で善意からだが無神経に勧めたことだったのだが、この書き方からしてもウベさんはヤスイさんよりも後に、怪我をして入院して来たとしか思えない。かつ、浪人生キノくんにしても、遡っても怪我をしたのは高校3年生の晩秋以降であろう。2学期の期末考査を全休しても、出席日数とこれまでの考査の成績が悪くなければ、3学期は登校しなくても良いのだから、卒業は出来るだろう。しかし中間考査も受けていないとすると、成績は何とか誤魔化しても欠時超過で卒業出来ないと思う。短く見積もれば、デンマさんがドロップを配り始める時点で入院していれば良いことになる。
 そうすると、浪人生は小池氏に会った時点で、入院期間は短ければ数ヶ月、長くても1年8ヶ月くらいにしかなっていないはずである。(以下続稿)