瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松葉杖・セーラー服・お面・鬘(23)

クリネックスティシューのCM(3)
 2016年4月13日付(22)(及び2016年6月4日付「中山七里『さよならドビュッシー』(1)」)から随分経ってしまいました。別段深い理由があった訳ではなく、2016年3月2日付(19)及び2016年3月3日付(20)にて、一応の結論は述べてしまったので、根気が続かなくなってしまったのです。
 思えば、ギンティ小林の記述とCM放映時期の齟齬から、小林氏と同学年であるはずの私自身の記憶を手繰り、そこから当初は意図していなかった自分語りを、3月28日付「回想の目録(1)」にも示したように、2016年2月23日付(15)を切っ掛けに始めることになったのでした。
 何を書くかはもう決まっているのですが、中断期間が長くなったのでなかなか当時のテンションを取り戻せません。いづれ小林氏の記述の検証も再開するつもりですが(小林氏本人が私の指摘した齟齬について解決を試みてもらえるなら、その方が良いのですけれども)今、その記述を細かく検討する気力と余裕はないので、差当り小林氏の挙げたクリネックスティシューのCMとともに、昭和61年(1986)に既に当該の怪人物が出没していた根拠となる、別の人物の証言の検討から、先に済ませてしてしまおうと考えています。
 その warm up として、昨日取り上げた別冊宝島92「うわさの本」の、石丸元章による「うわさ投稿傑作選」から、件のクリネックスティシューのCMに関する噂を抜いて置きましょう。
 「死・オカルト編1」の3項めが昨日引いた「伊奈かっぺい、呪いのソアラで今日も走る」なのですが、1項めがこのCMについての噂、すなわち石丸氏は「死・オカルト」の噂の筆頭にこれを挙げているのです。59頁上段6行め〜中段5行め、

クリネックスティシューCMの呪いでモデル死ぬ
「八六年に放映されていた松坂慶子と外/人の女のコが鬼のカッコで出演していた/クリネックスのCMに呪いがかかり、ま/ず外人の女のコが死亡。続いてカメラマ/ンが謎の病気で死亡。松坂は発病。CM/のBGMで流れていたウィーン少年合唱/団ふうの外国の子供の歌声が原因で、そ【上段】の曲はドイツ語で『死ね、死ね、みんな/一人ずつ呪い殺してやる』という意味の/呪いの歌だ」その後『東京新聞』で取り/あげられて一件落着(八六年十二月都内近郊)


 2016年2月24日付(16)に引いた、小池壮彦『怪奇事件の謎』では、11月に週刊誌が一斉に取り上げたとされています。そしてこの「うわさ投稿傑作選」に拠ると、12月に「東京新聞」の報道で終息したことになっているようです。――小池氏が指摘する時期以前に投稿がなかったとするなら、これはやはり、小池氏の云う通り「スケジュール通りのパブリシティだったこと」になるのでしょうか。(以下続稿)