瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

今野圓輔『怪談』(2)

・中公文庫(2)
 現代教養文庫版と中公文庫版との違いについて、細目を比較しても良いのだけれども、どうも疲れてしまって頭から細かく確認する作業に耐えられそうにないので、私が現代教養文庫版を見ようと思った切っ掛けである、中公文庫版の小池壮彦「解説」の2節め「二、旧版掲載の写真について」を、まづ見て行くことにする。221頁16行め〜222頁7行め、

 本書の旧版である社会思想社版の『怪談 民俗学の立場から』は、改版されることな【221】く絶版となったため、掲載写真は色褪せたものになっていた。そこで復刊にあたり状態不/良の写真を転載することには難があったので、編集担当者が著作権継承者(原著者の御子/息)に原資料となった写真の行方を尋ねたが、未発見に終わったという経緯がある。
 結論として、新たに入手できた写真や図版は旧版と同じように掲載したが、出典不明の/写真は遺憾ながら掲載を略さざるを得なかった。ただし、旧版掲載の写真には昭和三十年/当時の世相を反映したものがあり、原著者の独自の感性も偲べることから、ここにいくつ/かの写真を選んで旧版から転載する。

とあって、222頁左から226頁まで、何点かの写真が小池氏の説明を加えた上で転載されている。
 しかしながら、どうも納得出来ないのである。――現代教養文庫版が「改版されることなく」増刷を重ねたことで「掲載写真」が不鮮明になったと云うのは分かる。のだけれども、それで中公文庫版に「状態不良の写真を転載」しないといけないことになる、と云うのがよく分からないのである。確かに今、私の手許にある初版第21刷の写真は、やはり今私の手許にある現代教養文庫666『日本怪談集―幽霊篇―』初版第36刷の図版のカスレ具合に比べればマシだが、今時の出版物の図版には採用されない代物のように、思われる。しかし、これなどは早い時期の刷(出来れば初版第1刷)を入手して、そこから図版を取れば解決するのではないか。現代教養文庫の本文用紙は昭和50年代よりも初期、昭和30年代のものの方が白くて滑らかな紙を使っていたと思う。この、初期の増刷なら版の摩耗も少ないから、用紙からしても版の具合からしても「掲載写真」は「状態不良」には至っていないはずなのである。
 それなのにどうしてこのような言い訳をしているのか、少々理解に苦しむ。――それはともかく、次回はこの転載された写真について取り上げながら、図版について一通り確認する準備としたい。(以下続稿)