瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

本籍地(1)

 私の本籍地は、もともと父の出身地である関東の某県だった。しかし、暮らしたことがある訳ではなく、気候風土も父が退屈して(?)脱出を志したくらいだから魅力的でなく、食事も味付けが濃くて、大阪市出身の母(母の両親は広島県出身)の味に慣れた私には、夏休みに連日饂飩を食べるのなら良いが、年中ここで過ごそうとは思わないのであった。父の両親も兄弟も糖尿病になった。ならなかったのは若くして関東を離れた父くらいである。
 こう書くと随分悪く思っているようだが住もうと思わないだけで、やはり懐かしい。中学の頃までは夏休みに1週間くらい世話になっていた。10人いる孫のうち私が最年少だったし、父は幼少期は神童と言われ、兄弟の中ではただ1人大学も卒業し、紆余曲折あったが大企業の社員にもなった自慢の息子だったから、その息子として私も祖父には本当に可愛がられた。鉄道好きで、鉄道会社に就職した従兄と遠方まで乗りに行ったりしていた兄と違って、毎夏、1週間も滞在して土間のある家の風情を楽しんで、日中は自転車を乗り回してそれで満足していた。――今だったらもっといろいろ考えて見て回ったところだが、ネットもない時代に観光地でもないところを、少しでも見所を探して計画的に回ると云うのはほぼ不可能だったから、仕方がない。
 高校時代を兵庫県で過ごすことになり、遠くなったし、その間に父の育った古い家から離れた場所に家を新築し、そこで祖母が寝たきりになって、足が遠のいているうちに私が浪人になった4月に、祖母、祖父と相次いで死んでしまった。その葬儀と法事に行って以来、私は父の郷里を訪ねていない。しかし現在どうなっているかは、先年、父に Googleストリートビューを教えた折に、バス通りから町の中心に位置する寺院、そして父の生まれ育った集落と、一通りパソコン画面上で父とともに見たから――栄えていない町らしく*1、父が少年期までを過ごした町には、そこここに、65年前そのままではないにしても往時の痕跡を止めていて、すなわち、もう営業していないらしいが父が少年期に通った店が、同じ場所に残っていて、私は初めて現地を踏んでいないのに父の少年期の行動パターンを知ることが出来たのであった。
 とにかく、本籍地が某県と云うのは、自分のルーツではあるけれども、どうも違和感しかないのである。父の郷里で、父にとっては出身地だけれども、私にとっては郷里でもなく、住んだこともない。だから、実家を出た折に、新たに暮らし始めたアパートの住所を本籍地にしたのである。本籍地なんて変えたければ変えることも出来るから、そんなに拘泥る気持ちもない。しかし、どこでも本籍地に出来ると云うのはどうなんだろう。
 今はその隣の自治体に住んでいて、たまに自転車でその市の図書館に行く折に、アパートがどうなっているか見続けて来た。1階が高齢の後家さんの大家さんの住居で、風呂やおかずを貰ったり随分世話になったものだが、膝を悪くして外出もままならなくなってしまったのに、従来通りにしないと悪いと思っているらしいのが心苦しくて退去したのだが、それで踏ん切りが付いてアパート経営を諦めるかと思いの外、早速業者を入れて部屋を改装して不動産屋に募集を出したのでちょっと吃驚した。こう言っては何だけれども、後継ぎもいないのだから、もしものときに入居者がいるとどうなるのか、入居者だって落ち着かないだろうと思ったのである。――結局のところ、2部屋あったうち1部屋には入居があったが、私のいた部屋には最後まで入居がなかったようである。もう退去して10年になるが、1ヶ月に1度、日曜の夕方に自転車で通りかかって、大家さんにも近所の人にも会うことなく、なんとなく眺めて状況を察するに止めていたのだが、ここのところ、どうも、アパートに誰もいないらしいのである。そればかりでなく、1階にも誰もいないらしい。――入院したか、施設に入ったか、或いは――、と思ったのだが、退去の際に、郵便も出せないだろうからと年賀状も遠慮していたから、そういう連絡ももらわない*2
 そして今日、久し振りに通り掛かったところ、なくなっていて新しい家を建築中であった。別にアパートがなくなってもここが本籍地なのだが、こうなってみるとちょっと妙な気分である。――博士論文を準備していた頃、女子高勤務の傍ら、夜中に時間を作って、かろうじて体裁を整えて行った日々を思い出す。女子高勤務の末期はいろいろと妙な注文が増えて、生徒とも話が通じなくなって苦しくなっていたが、当時は学校の雰囲気も実に呑気で、勤務が全くストレスにならなかったから、睡眠時間を削っても快調だった。若かった。そんな思い出の場所が、あの辺りだったな、と見上げて、例によって誰にも会わなかったが、普通は余所者が入り込まない(通り抜けられるが何処かに通じるルートではない)一画なので、やはり長居はしづらい。
 しかし考えてみれば、大家さんが施設に入っているとしてもう90歳近いので、いづれ取り壊されることとなったはずだし、建物が存在していても中には入れない(入れてもらうだけの理由もない)訳だから、いづれにしても、今更別段どうもしなかったのだけれども。(以下続稿)

*1:それなりに栄えている市に挟まれているので、完全に寂れてしまった訳ではない。

*2:住所と電話番号は伝えてあって、退去当初、電話が掛かって来たこともあったが、1人暮らしで必ず電話の近くにいる訳でもないのに、用もないのに掛けて慌てて取りに行こうとして転んだりしたら、などと遠慮しているうち、お互いに(別に用もない訳だから)掛けなくなってしまったのである。