瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(29)

・白銀冴太郎「深夜の客」(5)
 昨日からの、①白銀冴太郎「深夜の客」と②杉村顕道「蓮華温泉の怪話」の比較の続き。構成については8月7日付(26)に対照させてある。
【E】泣き、怯える子供
【F】吠える二匹の犬
【G】主人の疑いと行動〜狐・鉄砲
【H】主人の退去依頼と男の退去
 この辺りの内容は、特に変わっていないように見える。――そしてこの辺りの一致が、②は①を横に置いて、細かく手を入れて作られたものとの確信を与えるのだが、更に、こんなに細々と手を入れるのは、実は同じ作者(①白銀氏=②杉村氏)なのではないか、と云う印象をも、確かに与えるのである。
【I】巡査の来訪と男の追跡
 男が立ち去ってから巡査が訪ねて来る場面は、幾つか気になる点があるので、全文を抜いて見よう。
 ①一九五頁7行め〜一九六頁3行め

 十分間ばかりも経った頃に又もや表戸をはげしく叩く者がある。
「開けておくれ。」
 主人は気味が悪くなったので返事をしなかった、子供は、怖えつつ更に縋りついて来たのだ。*1
「おい、開けておくれ、私だ、駐在巡査の松野だ。」
 確に松野巡査の声である。*2
 主人は表戸を開けた、巡査は和服で突立っている。
「早速だが、お前のところに洋服を着た四十ばかりの男が来やしなかったかい。」
「参りました。」
「泊まっているかい。」
「ことわりました。たった今、ここを出て行きました。」
「今、そうか、有難う。」【一九五】
 巡査はたちまちに山道の方へ走り去った。
 と、思うと、白樺の密林の方にあたってはげしい人声が起こった。主人は、鉄砲を持ち出して/その方向に走り出した。

 ②二〇三頁3〜17行め

 すると小半時たって、又もや表戸を猛烈に叩く者がある。
「開けてくれ。」
 然し主人は薄気味悪くなっていたので返事もしなかった。*3
「おい何故開けないのか。私は駐在所から来たのだ。」
 声は確かにS巡査に相違なかった。主人はバネ仕掛のように跳び上って戸を開けた。其処には/亢奮したS巡査が和服姿で塔婆のように立っていた。*4
「お前の家に今しがた四十がらみの洋服の男が来なかったか。」
 S巡査の声は心なしか少しばかり上ずっていた。
「へえ、参りました。」
「今もいるかい。」
「いいえ、今しがた出て行ったばかりです。」
「そうか、すまなかった。」
 言い捨てて巡査は白樺の密林沿いに、山道の方へとってかえした。
 それから間もなくだった。恐らく三十分とは経つまい。急にはげしく罵り騒ぐ人声がして、主/人は何かしらソワソワした気持に、鉄砲を持ち出して戸外に走り出した。


 ここまではどちらかと云うと①の、なくても構わない部分を②は約めていると云う印象だったのだが、ここは②の方が饒舌になっている。
 細かい異同について見るに、まづ巡査が来るまで②「小半時」では①「十分間」の3倍くらい時間が掛かっている。そのため①は「たちまちに‥‥/と、思うと」と急展開するが、②は「間もなく」としながら「三十分とは経つまい」なのである。尤もこの辺りは現地を踏んで見ないと妥当かどうか、判断し兼ねるし、①の如く大正3年(1914)としても100年以上前だから、現地が当時と似たような状況なのか(植生など)も分からない。それはともかく、ここで最も気になる書き換えは、①「松野」だった駐在巡査の名が②「S巡査」となっていることであるが、これも根拠があって“修正”したものかどうか。
 しかし、どうも、この辺りまで読んで来ると、作り事らしく思えてならないのである。
 周囲に人家の全くない山奥、しかも秋――浴客が全て山を下りた時期の、月明かりがあるにしても夜なのだから、朝から山に入った、逃亡に疲れた犯罪者が立ち寄ったのなら、まづ泊まることを考えてのことだろう。尤も温泉宿とは知らずに立ち寄ったらしいのだが、そうでなければ、足が付くことを恐れて素通りするはずである。だから、②のように「今もいるかい。」とは変なので、①の如く「泊まっているかい。」と聞きそうなものである*5
 それに、犯人がいるかも知れないと思っているのなら、温泉宿の表戸を①「はげしく」②「猛烈に」叩いてはいけないと思うのだ。表戸の騒ぎの間に、裏から逃げられかねない。――しかし、話すことを考えれば、子供が泣き、犬が吠える不審な紳士が立ち去った直後に、今度は激しく表戸を叩く音がした方が(稲川氏を想起されたい)、効果的ではある。
 前回指摘した【B】①大正3年(1914)を②明治30年(1897)に変えたことと、この巡査の名前を①松野からそのイニシャルになっていない②Sに変えたこと、この2点からすると杉村氏は(①白銀氏=②杉村氏とすれば、の話だが)必ずしも事実尊重と云う立場ではなかったように思われるのである。
 なお、「S巡査」については、2011年1月11日付(05)に、明治27年(1894)7月に「糸魚川口」を往復して大蓮華(白馬岳)に登頂した Walter Weston(1860.12.25〜1940.3.27)の旅行記を検討して見たのだが、ここに来て、全くの徒労であったらしい、と思っている。(以下続稿)

*1:ルビ「すが」。

*2:ルビ「たしか」。

*3:ルビ「しか」。

*4:ルビ「そこ/こうふん・とうば」。

*5:尤も、地形図や航空写真を見れば分かる通り、大所から大所川沿いに登る途中、全く人家がない。従って、巡査は大所の集落を発って以来、誰にも会わなかったかも知れず、だとすると逃亡犯がこの道を逃げたのか、確信を持っていなかった可能性がある。しかし、大所か山之坊、或いはもっと姫川下流、大峰峠の手前の小滝辺りか、前夜どこに泊まっていたかくらい把握していただろう。どのくらい前に蓮華温泉に到着したかの見当は付くだろうから、大所か山之坊からなら「今もいるかい」すなわち、そのまま信州へ山越えを試みることが出来るような時間の到着も可能だったかも知れない。……まぁこれも可能性を挙げて行けば際限がないのだけれども。