瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(31)

・白銀冴太郎「深夜の客」(7)
 8月10日付(29)の続きで、①白銀冴太郎「深夜の客」と②杉村顕道「蓮華温泉の怪話」の比較。構成については8月7日付(26)に対照させてある。
【J】巡査による男の捕縛と説明
 ここも全文を抜いて対照して置こう。①一九六頁4〜13行め、

 が、向うからさっきの洋服男を縛りあげた巡査が山を下って来る姿を見た。
「旦那、つかまりましたか。」
「有難う、わけもなく捕えることが出来た。おかげで大手柄だ。」*1
「旦那、その男は、何か悪いことでもしたのでございますか。」
「人殺しなんだ。越中で、若い女を殺して逃げて来た悪いやつだ。向うの警察からの手くばりで/ここに逃げ込んだことが分って追跡して来たんだ。」
「人殺し!」
 主人はぞっと身ぶるいをした。
 犯人は深くうなだれて顔もあげなかった。そして、巡査に護送されて山道を下ってゆくのであ/る。月は、彼らにもあざやけく照り冴えていた。巡査の提灯が人魂のように遠ざかってゆく。*2


 ②二〇三頁18行め〜二〇四頁8行め、

 すると向うから最前の洋服男を縛り上げたS巡査が、額のあたりから血潮さえ流して、下って【二〇三】来た。主人は呆然としていた。
「有難う、お蔭で捕えることが出来た。」
「へえ、旦那、その男は何か悪い事をした奴ですか。」
 こう問うて男の顔を凝視た時、男はぐんなりと首垂れて、主人の視線を避ける様子だった。*3
「ああ殺人犯人だ。越中で女を殺して遁げ込んで来たんだ。向うの警察から手配があって、ここ/まで追跡して来たんだが、いやお前のお蔭で大手柄さ。」*4
 S巡査は顔一面に笑を見せたが、人殺しと聞いて主人はソッとさせられた。男はS巡査に護送/されて、山道の月光を浴びながら下って行った。*5

 前々回引いた【I】の最後にあったように、恐らく、男を見付けた巡査が声を掛けて、捕物になったはずなのだが、①の方は「わけもなく捕えることが出来」、巡査はすぐに無傷で戻って来たのに対し、②の方は格闘になったらしく巡査は頭部を負傷している。
 この辺りも“修正”だとすれば、杉村氏もしくは事情通は、蓮華温泉の主人かそれに近い人物から直接注意を受けたのでなければ直りそうにない。やはり、色を付けた――創作ではないか、と思うのである。
 ①の松野巡査は提灯を持っており、主人は山を下っていくその灯りを見送るのであるが、②のS巡査は月明かりの下、行動している。【B】にあった①「月光の美しい夜」②「或る月の美しい夜」と云う設定を活かした改変と云えそうである。
【K】子供の怯えたもの
 ①一九六頁15行め〜一九七頁16行め

 家に帰った主人は子供に向っていった。
「あの男は怖ろしい人殺しをしたやつだったが、俺ぁ不思議でならない。人殺しときけば恐ろし/くなるがお前は、何も知らないのにあいつが怖ろしいといった。お前、どうして怖ろしい男だと【一九六】分ったんだい。」
 子供はまだ唇を紫色にしてふるえていた。
「父ちゃんは見なかったかい。」
「何を。」
「怖ろしいものをさ。」
「何も見やぁしなかった。」
「父ちゃん。あの人がすわっていただろう、あの時にさ。」
「何かあったかい。」
「背中にだよ、あの人の背中に、血みどろになった、髪を振乱した若い女の人が、怖ろしい顔を/しておんぶしていたよ。」*6
「えッ!」
 主人は総身に水でもぶっかけられたように怖えた。
「そしてね、あの人が出ていっただろう、その時にさ、おんぶしていた若い女が、背中からはな/れてあの人の後からふわふわと歩いてついて行ったよ。そして、家の戸口まで行った時、父ちゃ/んや、俺の顔を見て、ニタニタと笑ったんだよ。」
 主人は真っ青になって子供に抱きついた。


 ②二〇四頁9行め〜二〇五頁3行め

 主人は急に家に残して来た子供の事を思い出して急ぎ足に家に帰った。子供は未だ唇を紫にし/てブルブル震えていた。そして父親の姿を見ると、いきなり跳び付いて来た。そして云った。
「父ちゃん、怖かったね。あれ見たろ。」
「何を。」
「何って、あの人が座ってる時にね。――」
「何かあったのかい。」
「あの人の背中に、血みどろの若い女の人がとても怖い顔しておんぶしていたよ。」
「えっ。――」
 主人は総身に水をぶっかけられたように、ゾッとして思わず尻餅をついた。
「そしてね、あの人が出て行った時、その女の人フワフワ後から歩いて行ったよ。坊やの顔みて【二〇四】ニタニタ笑うんだよ。」
「小僧もう止めろ。」
 主人は真青になって子供に抱きしめた。


 ②は無駄な会話を刈り込んで、主人が家に戻ろうとしたときの心理、そして子供の反応など、①では触れられていなかった点に筆を及ぼしている。しかし「尻餅をついた」とは、少々書き過ぎのようである。――この場面の最後、主人の行動を「抱きついた」から「抱きしめた」にするだけで、同じことなのに頼りになる父親みたいな印象になるのは妙である。
 少し岡本綺堂「木曾の旅人」に話を及ぼせば、「木曾の旅人」では子供の年齢が、数えで「六つ」すなわち満年齢だと4〜5歳に設定されているので、何を見たのか具体的に説明出来なかったことになっている。現行の本文となった『近代異妖篇(綺堂讀物集乃三)』(大正十五年十月廿二日印刷・大正十五年十月廿五日發行・定價金貳圓・春陽堂・三四六頁)から抜いて置こう。一九三頁6〜12行め、

『お父さん。あの人は何處へか行つてしまつたかい。』と、太吉は生返つたやうに這ひ/起きて來た『怖い人が行つてしまつて、好いねえ。』*7
『なぜあの人がそんなに怖かつた。』と、重兵衞はわが子に訊いた。*8
『あの人、吃とお化だよ。人間ぢやないよ。』*9
『どうしてお化けだと判った。』*10
 それに對して詳しい説明をあたへるほどの知識を太吉は有つてゐなかつたが、彼は/しきりに彼の旅人はお化であると顫へながら主張してゐた。‥‥*11


 一方、①「深夜の客」②「蓮華温泉の怪話」は子供の年齢が数えで①「八つ」②「八歳」すなわち満年齢で6〜7歳なので、説明出来たことになっているのである。
 さて、①が「サンデー毎日」に掲載されたときの、藤原せいけん画のイラストには8月6日付(25)に触れたが、立ち上がった男に、血みどろの女が負ぶさっていて、本文とは若干相違している。(以下続稿)

*1:ルビ「とら」。

*2:ルビ「ちょうちん・ひとだま」。

*3:ルビ「みつめ・うなだ」。

*4:ルビ「に/」。

*5:ルビ「えみ/」。

*6:ルビ「ふりみだ/」。

*7:ルビ「とつ・ひと・どこ・い・たきち・いきかへ・は/お・き・こは・ひと・い・い」。

*8:ルビ「ひと・こは・ぢうべゑ・こ・き」。

*9:ルビ「ひと・きつ・ばけ・にんげん」。

*10:ルビ「ばけ・わか」。

*11:ルビ「たい・くは・せつめい・ちしき・たきち・も・かれ/か・たびゝと・ばけ・ふる・しゆちやう」。