瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(33)

・白銀冴太郎「深夜の客」(9)
 ここ数日、8月8日付(27)に引いた、東雅夫twitterで示した①白銀冴太郎②杉村顕道同一人説、及び8月11日付(30)に引いた、岡本綺堂「木曾の旅人」との関係についての東雅夫の示唆に導かれて、①「深夜の客」及び②「蓮華温泉の怪話」は、「木曾の旅人」に(直接もしくは間接的に)基づく創作(作り話)である、と云う可能性を追求して見た。
 飽くまでも可能性の追求であって、私も、どうしてもこの説を通そうと思っている訳ではない。
 しかしながら、①に大正3年、②が明治30年としている齟齬は、双方の年記の信憑性に疑問を抱かせるに十分であり、傍証が出ない限りは、これらの年記を「事実」として扱うことは、軽々には出来ないと考える。
 加えて8月10日付(29)に注意した巡査の名前の違い、そして8月13日付(32)に指摘した、①新潟県が舞台の話を②『信州百物語』に収録するために、僅かではあるが手を入れていることも、動かすべからざる「事実」に依拠していないのではないか、と云う疑いを抱かしめるのである。
 私も①白銀冴太郎「深夜の客」を知るまでは、岡本綺堂「木曾の旅人」は、明治30年(1897)のこととされる②杉村顕道「蓮華温泉の怪話」の実説(!)を、岡本氏が知って書いたのか、それとも知らずに書いたのか、――そんなことを考えていたのだが、東雅夫によって①「深夜の客」を知り、さらにこれが懸賞応募作品であったこと、そして白銀氏=杉村氏の可能性が高いことを示唆されたことで、②「蓮華温泉の怪話」の信憑性はかなり低くなったように感じている。一方岡本氏の方は、「木曾の旅人」の原型と云うべき「炭焼の話」を、大正2年(1913)に書いているのである*1
 一体、①白銀氏=②杉村氏が「蓮華温泉」のこととして書いた「事実」は、存在したのだろうか。
 2011年1月8日付(04)及び2011年1月22日付(07)に引いたように、加門七海によると今でも、蓮華温泉を舞台とする話が口承化して伝わっていると云う。しかしながらそれは、8月11日付(30)の最後に触れたような口承化、すなわち『信州百物語』が戦後まで度々増刷されたこと、そして2011年1月25日付(09)に取り上げた今野圓輔『日本怪談集―幽霊篇―』*2に(本筋に関わらない部分が変化したものが)収録されたことの結果であって、その早い時期の例が2011年1月23日付(08)に取り上げた松谷みよ子『現代民話考』の例なのであり、さらに『現代民話考』からの流布もあったであろう。――よく知られていると云うことが、この話が「事実」であったことを、保証するものとはならない。(以下続稿)

*1:「炭焼の話」については、2013年6月29日付(18)及び8月5日付(24)参照。――既に試みた人もいるであろうが、次には「炭焼の話」と「木曾の旅人」をざっと比較して見ようと思っている。

*2:昭和28年(1953)の「毎日新聞」の記事は、何度か縮刷版を繰って見たが、未だ見出していない。なお、最後に触れた「子供にだけ見える」は、既に当時調査してメモも取ったのだが、もう少し詰めるつもりでいるうちメモを紛失してしまった。これも早い時期のヴァリエイションとして注目すべき例であるので、再度調べに行かないといけない。