瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(44)

小松和彦編『日本妖怪学大全』(2)
 昨日の記事に書いて置くべきでしたが、小松和彦「あとがき」を見るに、堤邦彦はこの共同研究のメンバーではありません。ゲストスピーカーとして第一四回*1に「江戸時代人のオソレ感覚――怪談の位相」と題する発表を行っています。この論題から見て『日本妖怪学大全』に寄せた「怨みを背負った旅人たち――廻国・懺悔の怪異空間――」とは違った内容だったようです。
 それでは昨日の続きで、「怨みを背負った旅人たち」の最後、堤氏が今後検証すべき課題として挙げた2つの話群のうち、「木曾の旅人」への言及がある2つめについて見て置きましょう。254頁7〜11行め、

 また、人を殺して出奔*2した男が、逃亡先の宿屋で二人分の膳を出され、自分につきまとう亡霊の影に気付く話/の場合には、中国の『迪吉録*3』を原拠として、井原西鶴の『万の文反古*4』から岡本綺堂*5「木曾の旅人」に至る文芸/虚構のながれを形成しつつ、同時に『合類大因縁集*6』(元禄五年(一六九二)刊)、『諸仏感応見好書*7』(享保十一/年(一七二六)刊)などの勧化本に採話されて唱導の場に展開する。両者は互いに影響し合いながら、『迪吉録』/の話を日本風の因果譚に描き変えて行ったわけである。


 冒頭「また」とあるのは、1つめの話群(254頁2〜6行め)を受けてのものですが、こちらは幽霊の話ではありません。
 それはともかく、この辺りは慶応義塾大学藝文学会機関誌「藝文研究」第四十七号(1985年12月10日発行・定価2,000円・147+85頁・A5判)47〜64頁、堤邦彦「近世怪異小説と仏書・その一――殺生の現報をめぐって――」にも同様の記述があります。――私はこの論文を卒業論文執筆時に、初出誌ではなく再録されたもので読んで、「二、六道絵を視座として」の節に対し、同じ発想の説話には堤氏の指摘する仏教系の流れとは別の系統のものがある、等と生意気なこと(!)を書いたことを思い出しました。複写も取ったはずですが、探すのが大変なので再録された論文集を借りて来た上で、確認することとしましょう。
 とにかく、堤氏は「木曾の旅人」に至る怪異談の流れを、以来ずっと意識しており、それが『日本怪異妖怪大事典』の「ゆうれい【幽霊】」項に至っているのですが、この項目執筆のための検討結果を、堤氏は別に発表して、そこでは「蓮華温泉の怪話」の一節を引用して、恐らく初めてこの系統の話について、詳細に及んでいるのです。(以下続稿)

*1:日付なし。

*2:ルビ「しゆつぽん」。

*3:ルビ「てききつろく」。

*4:ルビ「よろず・ふみほうぐ」。

*5:ルビ「きどう」。

*6:ルビ「ごうるいだいいんねんしゆう」。

*7:ルビ「しよぶつかんのうけんこうしよ」。