瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(54)

・末広昌雄「山の伝説」(8)
 昨日の続きで、仮に【B】導入〜時期の説明とした箇所の「冬籠り」について検討して見ましょう。
 「深夜の客」と「蓮華温泉の怪話」は、秋、浴客が下山し冬籠りの準備に取り掛かる頃、と云う事実を簡潔に述べるだけです。
 ところが、「山の宿の怪異」は字数が4倍ほどに増えており、まづ時期が「その年の暮もあとわずか二、三日に迫ったある日のこと」となっているのです。従って宿も「冬支度を終わり、新雪も過ぎて今や根雪と変わり、日一日と雪が降り積もってゆく」と云う状況なのです。
 しかし、これは有り得ない設定です。8月5日付(24)に述べましたが、蓮華温泉は冬期営業していません。
 現在、「白馬岳蓮華温泉ロッジ」の「営業期間」は「3月下旬〜10月20日」です。そうでない時期はもちろん「※冬期休業 10月20日頃〜3月中旬」なのです。
 当時はどうだったのか、8月11日付(30)に触れた旅行案内、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来る、白馬嶽麓 北城小學校内 高山館編『日本アルプス 白馬嶽登山案内』(大正八年六月廿五日印刷・大正八年七月 一 日發行・定價金五拾五錢・東京 梅津書店*1)を見てみましょう。扉、序(頁付なし)2頁、「目   次」一〜六頁、扉と同版と見える1頁(頁付なし)中扉、二〜一四八頁本文、奥付、裏は白紙。北城小學校は長野縣北安曇郡北城村立の小学校で、昭和31年(1956)に合併により白馬村立となり、昭和39年(1964)に白馬北小学校と改称されています。高山館のような施設が現在も校内にあるのかどうかは、分かりません。
 さて、八三〜一〇一頁5行め「第四章 溫 泉*2」から、八七頁7行め、2行取り6字下げで「 蓮華温泉*3」の節の、全文を抜いて置きましょう。八七頁8行め〜八八頁7行め、

本泉は越後西頸城郡に屬して白馬岳頂上から東北へ五里三十町*4【八七】程の道程で海拔千四百七十米突許の處にある。*5
發見の時代未詳 天保十三年に浴塲を開いた言ひ傳ひて居る。/現今は陋狹ではあるが浴舍浴槽もあり。毎年六月一日から開湯/し九月下旬に閉鎖する、此期間中郵便脚夫は隔日に集配して登/山者に多大な便益を與ふのである。*6
泉質は硫黄泉で温度華氏の約九十五度、梅毒皮膚病等に特効が/ある。*7


 すなわち、と云うか当然のことながら、当時は現在よりも営業期間が短く、6月から9月の4ヶ月間でした。
 別に交通の要衝と云う訳ではありませんから冬季はそれこそ「少数の物好きな」登山者が通るくらい、こんなところで営業もしないのに越冬する理由はないので、宿の人間も雪が降る前に下山してしまうはずです。
 それでは何故、末広氏はこのような書き方をしたのでしょうか。
 私は冬季の山小屋は通常閉鎖されており、蓮華温泉も同様だろうと思っていたので、「蓮華温泉の怪話」の「宿はもう冬籠りの準備をしようとしている頃であった」、或いは「深夜の客」の「宿は長い雪の冬を迎えて冬ごもりをする準備に取かかった」とある「冬籠り」を、冬季閉鎖のための準備だくらいに考えて特に引っ掛からなかったのですが、確かに「冬籠り」と云えば、そこに籠もって冬を越すことを指します。
 それにしても、白銀冴太郎=杉村顕道が「冬籠り」などと云う語を何故、使ってしまったのか、――私としては、蓮華温泉のことを余り知らなかったからだろう、と考えたいところですが、それはともかくとして、末広氏が「山の宿の怪異」にて雪の夜の場面として描いてしまった理由も、やはり冬季の蓮華温泉を知っている訳でなかったこと、それから「深夜の客」の「長い雪の冬を迎えて冬ごもりを」と云う文言から、雪の夜をイメージしてしまったように思われるのです。その意味で、2011年1月25日付(09)に引いた今野圓輔編著『日本怪談集―幽霊篇―』のみが「九月」としているのは、正確な時期を(偶然かも知れませんが)反映したものと云えます。
 しかし「山の宿の怪異」が、「深夜の客」が「秋も深んで」としていたのを「年の暮もあとわずか二、三日」としたのは大胆な書き換えと云うべきで、末広氏が「あしなか」投稿に際して(年とともに)書き換えたのか、それとも末広氏が依拠した本文が既に書き換えられていたのか、判断出来ませんが、こういった辺りからも自ずと「山の宿の怪異」の資料的な価値は推し量られるようです。
 ところで8月5日付(24)に列挙したように雪の夜とする文献は他に幾つかあるのですが、2011年1月23日付(08)に引いた松谷みよ子「現代民話考」は、この「山の宿の怪異」に先行します。昭和末から平成初年には、このようなイメージが何となく広まっていた、とは云えるでしょう*8(以下続稿)

*1:2021年2月27日追記はてなダイアリーからの移行時「館」が「邢」と文字化けしていたのを修正。

*2:ルビ「をん  せん」。

*3:ルビ「れんげのをんせん」。

*4:ルビ「ほんせん・えちご にしくびき ぐん・ぞく・しろうまたけちやうじやう・とうほく・り ・ちやう」。

*5:ルビ「ほど・だうてい・かいばつ・めいとるばかり・ところ」。

*6:ルビ「はつけん。じ だいみ しやう・てんぽう・ねん・よくぢやう・ひら・い ・つた・ゐ /げんこん・ろうけう・よくしやよくさう・まいねん・ぐわつ・にち・かいたう/ぐわつげ じゆん・へいさ ・このき かんちういうびんきやく ふ・かくじつ・しふはい・と /ざんしや・た だい・べんえき・あた」。

*7:ルビ「せんしつ・りうわうせん・をんど くわし ・やく・ど ・ばいどくひ ふ びやうとう・とくかう/」。

*8:2011年1月8日付(04)に引いた加門七海の「蓮華温泉の怪話」の紹介は、何故か「ある雪の晩」と云う設定になっているのですが、これは1月22日付(07)に引いた対談にも見えた「山登りする知人」の話の影響でしょうか。この「知人」の話がどこから出て来たのかも、ここに「山の宿の怪異」を加え得ますから、ちょっと興味のあるところです。