・岡本綺堂「影」(7)
昨日の続きで、本作が宜しくない理由をもう少し突っ込んで述べて見ましょう。
「木曾の旅人」では、杣の重兵衛の子供・太吉が怯えて泣き、遅れて杣小屋を訪れた猟師の弥七が連れて来た黒犬が吠え続けるのですが、重兵衛と弥七は何も気付きません。
本作の炭焼重兵衛もやはり何も気付かないのですが、芸妓おつやは気付いてしまいます。なお、おつやが弥七に相当する役なので、本作には犬は登場しません。しかし子供の太吉が怯えるだけでは話になりませんから、おつやも「旅人の妖変に気づく」ことになっています。
どのように気付くかと云うと、――戸外で風が出て来て窓から吹き込み、ランプの灯を消してしまう。そこにちょうど、怯える太吉を寝かしつけようと隣室に行った(‥‥、おつやは障子をあけて出か/かりしが、俄にぞっとしたように、框に腰をおろしたまま暫く無言。‥‥*1)と云うト書き*2(256頁9〜10行め)になります。重兵衛はランプを点すのに気を取られて見ていなかったらしいのですが、ここでこれまで賑やかだったおつやが、重兵衛を出入口に呼び、そして外に連れ出して 258頁3〜10行め*3、
おつや (異常の恐怖に襲われたように。)あのランプが風で消えて……。家*4のなかが急に薄暗く/なったでしょう。
重兵衛 むむ。
おつや その時にあたしは障子をあけて出ようとすると、焚火の前にいるあの人の影が……。/トテモ凄いんで、ぞっとしたのよ。
重兵衛 影が……。(首をかしげる。)影が薄いというのか。
おつや 影が薄いんじゃない。凄いのよ。太ァちゃんの怖がるのも無理はない。あの人、/確に唯の人じゃあないわ。*5
と言って、先刻自分も宿泊するよう勧めた旅人を断って、早く追い出すよう主張し始めるのです。
さて、ここで話題になっている場面(256頁2〜11行め)に、旅人がどう見えたかの指定は全くありませんが、先に引いたト書きの冒頭(256頁9行め)に、(土間は暗く、焚火の光もやや薄くなる。山風の音。その薄暗い中で、‥‥)と云う状況下、動きのある重兵衛とおつやではなく、動きのない「旅人の妖変」を観客に気付かせるために、観客にもおつやと同じ感じを抱かせるための演出があったろうと思うのです。せいぜい、一瞬「影」を「凄く」見せる程度で「なんら具体的な怪異は登場」させていないにしても、観客が見て分かるような工夫がなされていたことでしょう。
もしこの見当で間違いないとすれば、ここは我慢して欲しかったと思うのです。このような場面を描いたと云うことは、岡本氏も「何も見せない」と云う我慢が出来なかったのだと思います。――原作「木曾の旅人」の黒犬に変わって「妖変に気づく」役割を負わされたおつやは、その騒々しいキャラクターを「影」の一件で一変させて、その急な変化で効果を上げようとしたのでしょうけれども、原作には遠く及ばない、と云うのが正直なところです。
しかし、やはりそれよりも、おつやというキャラクターそれ自体が問題で、この戯曲の欠点は殆どこれに尽きていると思うのです。(以下続稿)