瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

校舎屋上の焼身自殺(1)

 一昨日、10月18日付「閉じ込められた女子学生(15)」及び昨日、10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」に見たように、[mixi]のコミュニティ「女子美(4年制)」に2004年10月12日に立てられたトピック「6号棟に出るって話し」には断続的に、興味深いコメントの投稿があったのですが、2005年6月10日*1書き込みの[18]番を最後に途絶えました。それは、その前日、2005年6月9日書き込みの[17]番が、

屋上で焼身自殺したのは私の友人です。とても辛い思い出です。/抽象的な言葉は「ついに世界は開かれた」で、/それが彼女が最後に到達した表現の世界でした。
 
私は命を張ってまで行う芸術表現はないと思います。/彼女はもういませんが、アンチテーゼはとなえ続けます。/私が食育に力を入れたいという根底の出来事はこれです。
 
食べることは、生きることです。/人は生まれてきた以上、生き続けなければならないのです。
 
とはいえ、死を選んだ人はそれほど思い詰めていたのですから/不謹慎な噂話はやめましょうね。

と、思い切って自殺した友人のことを書き、不謹慎な噂話を窘めたからでした。
 確かに、正確な説明をしないところから、欠落部分を想像で埋めたり、断片を聞きかじって、やはりそれを想像で膨らませたり、と云ったことが「不謹慎な噂話」を増幅させるのですから(かと云って、正確な話が広まったらそれはそれで困ったことにもなるでしょう)友人が正確なところを書き込んだのは大いに意義のあることでした。
 最後に書き込まれた[18]番は、以下のような内容です。

焼身自殺の事件当時、和田寮に入寮しておりました。
屋上から火が見えたということで、大火事だと予想されたのか/14台もの消防車が学校に横付けされました。
 
20年以上経った今も、時々思い出します。
学校からは何も状況の説明は無かったように記憶していますから、当時在学中でもご存じ無い方が多いのでは。。。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。


 和田寮は杉並校舎に隣接していましたが、[18]番が実際に炎を見たのかどうか、ちょっとこれだけでは分かりません。消防車は見たのでしょう。
 「何の状況の説明」も「無かった」と云うのは大学生(もしくは短大生)だからで、付属の生徒たちは10月15日付「閉じ込められた女子学生(12)」に引いた、2ch(5ch)のスレッド「大学にまつわる怖い話」に2005年1月4日に書き込まれた「382」番にあるように「黙祷した」ようです。しかし、流石に細かい事情の説明まではしなかったでしょう。
 10月16日付「閉じ込められた女子学生(13)」に引いた、川奈まり子実話怪談 出没地帯』の「母校の怪談」の状況説明とは消防車の台数が一致しています。しかしながら、よく読むとどうも、微妙な食い違いを見せるようなのです。
 川奈氏は「キャンパスの周囲は古い住宅街で道が狭く、最終的には十四台も消防車が駆けつけた」と、住宅密集地での延焼防止のためにこれだけの台数が集まったとの解釈らしいのです。――いくら「可燃性の液体をかぶった」としても、屋上での出来事です。そのような、延焼が心配されるほどの火焔が上がったのでしょうか。確かに[mixi]の[10]番は10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」に引いたように「火柱が10mも上がったとかなんとか」と書いていましたけれども。
 一方[18]番の方は、火の気のないはずの「屋上から火が見えた」ことで、校舎内の火災が屋上にまで達する「大火事」になっていると思われた、と云うことのようです。――そうすると延焼防止と云う意味合いもありましょうが、住宅密集地のため多数の通報があって消防署も余程大きな火災かと勘違いしたことで、これほどの台数を急行させてしまった、と云うことのようにも思われるのです。(以下続稿)

*1:年は表示されないのでコメントの日付を辿っての推定。翌年以降の可能性もありますが仮に2005年として置きます。