瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

校舎屋上の焼身自殺(17)

・「週刊新潮」2月6日号(4)
 以下「週刊新潮」の記事に依拠しつつ、この件に関する俗説について検討して見ようと思います。
 但しこの記事も、事件後3日くらいで纏められたもので、前半は事件の概要、後半は大学の学生課長と担当教員の談話で、取材範囲は広くありません。友人の発言も直接友人に聞いたのか、大学側(学生課長もしくは担当教員)から伝えられたか――どうも、後者のような気がするのですが、とにかく間に合わせるためにそれ以上掘り下げた取材をする余裕がなかったようです。
 例えば、自殺の理由も、友人の発言に悩みの内容が語られていましたが、学生課長の話も担当教員の話も、卒業制作時の学生について、そして才能についての一般論が主で、特に自殺者を知らなかったらしい前者の話は、個人の事情に全く踏み込んでいません。――ここは友人や家族など、もっと直接自殺者に関わった人の証言が欲しいところです。
 こうした説明の不足が11月1日付(12)に引いた、直前に指導教員に厳しく講評された、と云う分かり易い説明*1を生み出したように思います。或いはもっと一般的な事情、すなわち、10月9日付「閉じ込められた女子学生(06)」に引いたような学生運動絡みだとか、11月5日付(13)に引いた失恋と云った、ありがちな理由が持ち出されるに至ったのだと思います。
 厳しく講評された、との説では発作的に屋上に駆け上がって持ち合わせていたペインティングオイル(?)をかぶって、と云う段取りになるのです*2けれども、実際には恐ろしく計画的です。10月25日付(06)に見た、鶴川学「恐怖の"焼身自殺実況ビデオテープ"」が複写を掲載している昭和61年(1986)1月27日「朝日新聞」朝刊の記事には「そばに灯油のタンクがあったことから」とあるのですが、「週刊新潮」の記事によって「石油ストーブのカートリッジ」であったことが分かります。当時、石油ストーブは今より一般的で、私の家でも居間の暖房が石油ストーブで、巡回の灯油販売車から毎週購入していました。学校の暖房も石油ストーブで、周囲を金属の柵で囲っていて、たまに雨の日や雪の日に濡れた靴下を柵に干して物凄い悪臭を発生させる愚か者がいたものでした。それはともかく、自殺者は絵画制作のため、自室の暖房を炬燵ではなくストーブにしていたでしょうから、自宅(自室)で使用していたものを持って来たのかも知れません。或いは、大学で使用していたストーブから抜いたのかも知れません。いづれにせよ前々から準備していたものと目されます。――これに限らず、抽象的な絵に抽象的な言葉、そして深夜の屋上を炎上させると云う、非常に(言葉は悪いですが)芝居がかった、周到に準備された計画であったことが分かります。
 しかし、ここまでのことをする心境と云うものが私たちには容易に理解出来ないので、一時の感情の高ぶりを抑え難くなって発作的に自殺してしまった、と云う、まだ理解出来そうな範囲にまで引き下げてしまうのでしょう。(以下続稿)

*1:実際に似たようなことが直前にあったとしても、特に本人が書き遺したり周囲に伝えたりしていない限り、教員側からの証言は得られないでしょうけれども。

*2:発作的でなくても成り立つとは思いますけれども。