瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

校舎屋上の焼身自殺(25)

・新聞報道(6)夕刊②理由
 昨日の続きで、昭和61年(1986)1月27日付各紙夕刊の記事の、後半を見て置きましょう。
・「朝日新聞

 調べによると、■■さんは大/学で油絵を専攻していたが「自/分の目指す方向と違う」と以前/から悩み、最近は「絵がかけな/くなった」ともらしていた。


・「毎日新聞

 調べによると、A子さんは/洋画科で油絵を専攻。最近、【5段め】古典の油絵に心酔し、家族ら/に「大学の授業と私のやりた/いことが違うので絵を描けな/くなった」ともらすなどノイ/ローゼ気味だったという。


・読売新聞

 同署によると、■■さんは/同日午後三時ごろ自宅を出た/あと行方がわからなくなって/いた。


 卒業制作の時期に当たる訳ですが、「朝日新聞」も「毎日新聞」も現在の教育環境との齟齬に悩んでいたことを理由に挙げ、現在ネット上に流布している卒業制作が行き詰って、と云った書き方をしていません。
 11月8日付(16)に引いた「週刊新潮」2月6日号の記事に、「古典美術の技法を教える塾に通ってい」たことが見えていました。自分が必要と考えている技法が大学のカリキュラムでは十分に学べないので、わざわざ通っていたのかと思ったのですが、ただ不足を補うと云うのではなく「古典の油絵に心酔し」ていたのでした。私は11月13日付「美術の思ひ出(2)」に述べたように美術教育の知識が中学生レベルで止まっていますから、なかなか状況が把握しづらいのですが、単に窮屈に感じると云うだけでなく、認めてもらえないと云ったことが、学部生レベルでもあったのでしょうか*1。それは良く分かりませんが卒業と云う、4年間の大学生活に於いて1つの結論を出すべき時期に、「やりたいこと」をさせてもらえなかったことは、大変な圧迫感となったのでしょう*2
 「読売新聞」は理由に触れていませんが、自殺者の最後の消息に触れています。――自殺者が校門が閉鎖されてから忍び込んだことは、11月11日付(19)に述べたように、11月8日付(16)に引いた「週刊新潮」2月6日号の記事から察せられたのですが、新聞記事からは11月19日付(23)に見た、夜間の出入りと屋上への出入りしか明らかに出来ませんから、校門が閉鎖される前に構内に入って、校舎のどこかに隠れて深夜になるのを待っていた、と云う可能性も考えられた訳です。新聞記事を複数突き合わせても、筋を引いて行くのはなかなか容易ではありません。(以下続稿)

*1:私が分かるのは20年以上前の国文学界ですが、――指導教授が、院生に自分の研究課題の中からテーマを与えたり、自分が不得手なテーマを認めなかったり、と云ったことがありました。学部生の卒業論文やレポートに、自分と対立する説を提示している学者の著書を使用したことで、以後邪険に扱われるようになった、と云う話も邪険にされた本人から聞きました。院生になるとこの辺りの機微が分かって来るのですが、学部生にこういった配慮を求めるのは大人げないと云うべきでしょう。

*2:その点、私は自分で勝手にふざけたテーマを決めて、途中、思想史や美術史に脱線しても好きにさせてくれた指導教授の下、学部から修士論文を提出するくらいまでは実に伸び伸びと過ごさせてもらいました。……ちょっといろいろなことに手を伸ばし過ぎたかも知れませんが。