瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(78)

・末広昌雄「雪の夜の伝説」(13)
 昨日の続きで、末広氏が依拠したと思しき佐々木喜善『東奥異聞』の「嫁子ネズミの話」の「一」節め、2段落めと3段落めの前半を抜いて見ましょう。傍点「ヽ」が打ってある箇所は再現出来ないので仮に太字にしました。

 私にこの話を聴かせてくれた同所の老人の狩人*1の話ですと、寒中のひどくしばれる日に、えもののくるのを木陰などでさけしんで(耳を傾けてうかがうて)いると、そのネズミの破裂するのがポンポンとすてきな音をたてて遠近に聴こえるのだということです。なんとなくそれが淋しいものなんだそうです。こだまネズミとはそのからだの破裂する反響からきた名でありましょうが、そんなら数多い獣のうちでなぜひとりこの小獣にかぎってそんな無惨なありさまになるかということについては、つぎのような口碑があります。
 昔、同地の狩山に、七人と六人の二組の狩人が登って小屋掛けをしていました。六人組のほうをばスギのレッチウ、七人組のほうをばコダマのレッチウと呼びました。ところがある夜の夜半に、コダマのレッチウの小屋に若い女がやってきて、私はいま、お産の紐を解きたいのだからどうぞ一夜の宿りをゆるしてくれというのでした。‥‥


 2段落めを末広氏は使っていません。
 次に、昭和31年(1956)の「山と高原」二月号第二三三号)掲載「雪の夜の伝説」の「狩山の鼠」の当該箇所を抜いて見ましょう。56頁2段め24〜29行め、

‥‥。昔、/同地の狩山に七人と六人の二組の狩人が登/って小屋掛をしていた。或る吹雪の夜半に/七人組の小屋に若い女がやって来て、「私/は今お産の紐を解きたいのだから、どうぞ/一夜の宿を許してくれ」と云った。‥‥


 大きな異同は『東奥異聞』にあった「六人組のほうをばスギのレッチウ、七人組のほうをばコダマのレッチウと呼びました。」と云う、鼠の名称の由来にも絡む一文を省略していることです。なお「レッチウ」など、方言については『東奥異聞』の「」節めの最後の段落、話の結末に続いて次のように説明されています。

 私は老人がたびたび用いるこのレッチウという言葉をまたそのままに用いましたが問い糺すとこれは「連中」ということだということがわかりました。またタカスというのは、山言葉の一で、深山で大木の梢が風雨のために折れたのが、自然と幹に朽ち込み大穴となったのにクマがはいったもののいわれです。このほか、ソラグチ(大木の根に穴があるもの)、ツルベ(これは岩穴でクマが釣桶*2のように上からはいってゆくようなもの)――まあざっとこんなふうになりますが、しかしこれは主題とは違った余談であります。いずれも秋田の荒瀬村に行なわれている山言葉です。


 それから平成4年(1992)の「あしなか」第弐百弐拾四輯掲載「山の伝説」の「山の神の伝説」の当該箇所、4段落め(16頁下段12〜17行め)を抜いて見ましょう。

 昔のこと、同地の狩山に、七人と六人の二/組の狩人が登って、小屋掛けをしていた。あ/る吹雪の夜半に、七人組の小屋に若い女がや/って来て、「私は今、お産の紐を解きたいのだ/から、どうぞ一夜の宿を許して下さい」と、言/った。


 ここで注意されるのは、『東奥異聞』が「ところがある夜の夜半に、」としていたのを末広氏は「或る吹雪の夜半に」と改めていることで、ここは12月2日付(72)及び12月3日付(73)に見当を示したように、末広氏がこの話と抱き合わせている「山の宿の怪異」と同じく、月刊誌の二月号に相応しい「雪の夜」と云う設定を、故意に追加・強調したものらしく思われるのです。(以下続稿)

*1:ルビ「マタギ」。

*2:ルビ「つるべ」。