瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(82)

・末広昌雄「雪の夜の伝説」(17)
 昨日の続きで、末広氏が依拠したと思しき佐々木喜善『東奥異聞』の「嫁子ネズミの話」の「」節め、5段落めを抜いて置きましょう。

 そこでスギのレッチウの者ども、女人のお告げの洞にいってみると、いかにもいわれたとおりの大木の朽ち穴があります。その穴を突いて望みの大グマ三匹をえ、それから一つ山を越えてコダマのレッチウの小屋にいってみると、鉄砲諸道具をみなそのままにしておいて、肝腎の人間が一人もおりません。これはどうしたことだろうと思って、四辺を見ると、小屋の梁の上にいままで見慣れぬ毛色の小ネズミどもが七匹ちょろちょろと去ってゆく。それこそすなわち山の神さんにとがめられて、ネズミとなったコダマのレッチウの七人組のなれの果てであったのであります。それでいまでもけっして七人組のレッチウは忌んで、ないことになっております。


 昭和31年(1956)の「山と高原」二月号第二三三号)掲載「雪の夜の伝説」の「狩山の鼠」の最後、56頁4段め5〜16行めは、

‥‥。そこで翌日吹雪の止み間を縫/って六人組の者達は、女の告げた通り洞/へ行ってみると、果して大木の朽穴があ/った。その穴を突いて望みの大熊を得、/それから一つ雪の山を越えて、雪に埋れ/た七人組の小屋に行って見ると、鉄砲諸/道具を皆そのままにして置いて、かんじ/んの人間が一人も居ぬ様子にこれはどう/したことかと辺りを見廻すと、小屋の梁/の上には今迄見慣れぬ無色の小鼠共が七/匹、ちょろちょろ走っているばはりであ/った。

となっていて、最後の「ばはり」は誤植でしょう。――やはりここでも天候について「吹雪の止み間を縫って」だの「一つ雪の山を越えて、雪に埋れた」などと殊更に書き足しているのが注意されます。
 この話は「山の宿の怪異」と違って段落分けを全くせずに詰めてあり、「山の宿の怪異」のような小説じみた書き方、と云うか、あれは小説と云ってしまって良いと思うのですが、そういう書き方をしていないにしても、12月04日付(74)に述べたように編集部で詰め込むために手を入れた可能性があると思われるのですけれども、しかしそうでなくても『東奥異聞』を節略した本文に、くどいくらいに「雪」の設定が書き足され、強調されているのです。
 そしてこのことからも「山の宿の怪異」の、実際の蓮華温泉では有り得ない「雪の夜」設定は、末広氏が雑誌掲載時期に合わせるために思い付きで加えた作為である、と云う推定を確実にし得ると思うのです。
 そして、平成4年(1992)の「あしなか」第弐百弐拾四輯掲載「山の伝説」の「山の神の伝説」の、8段落め(17頁上段14行め〜下段2行め)を抜いて見ます。

 そこで翌日吹雪の止み間をぬって六人組/の者たちは、女の告げたとおり洞へ行ってみ【上段】ると、果たして大木の朽ち穴があった。そし/てその穴を突いて望みの大熊を得た。それ/から一つ雪の山を越えて、雪に埋もれてい七人組の小屋に行ってみると、鉄砲やいろいろの道具を皆そのままにして置いて、かん/じんの人間が一人も居ない。これはどうしたこ/とかと辺りを見廻すと、小屋の梁の上には今【中段】までまったく見慣れぬ無色の小鼠どもが七匹、/ちょろちょろ走っているばりであった。


 「山と高原」との異同を仮に太字にして見ました。大きな違いはありませんが細かく手を入れていることが分かります。(以下続稿)