瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(85)

・末広昌雄「雪の夜の伝説」(20)
 ここまで、8月15日付(34)に引いた灰月弥彦の2018年1月24日21:19の tweetを切っ掛けに、朝里樹『日本現代怪異事典』から小松和彦監修『日本怪異妖怪大事典』と辿って末広氏の「山の伝説」について検討し、さらにその隠された初出である「雪の夜の伝説」まで遡って、細かく検討を加えて見ました。
 今回は7月4日付(23)の頃から始めて、中断はありましたが半年近く続けました。未だ学界に足を突っ込んでおれば論文にしないと勿体ないところですが、論文にするつもりならこんな面倒なことはしないでしょう。いえ、私はわざとこんなことをやったのです、
 単純に「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」の系譜を検証するのが目的であれば、末広氏の書いたものがどのような種類のものであるかは、白銀冴太郎「深夜の客」と並べて一読すれば見当が付くことですから、「雪の夜」と云う設定を追加し、山岳雑誌を通して登山客たちの間にこの話を広めるに力あったらしい、と云った点を指摘して置けばそれで済みます。
 しかし私が今回の作業を通じて痛感したのは、資料の素性と云うものに無頓着な作業が横行している現状です。――『日本怪異妖怪大事典』については、7月25日付「小松和彦監修『日本怪異妖怪大事典』(1)からしばらく検討して見ました。私は妖怪には余り興味がないので、この事典はちらちら見る程度だったのですけれども、見ているうちに採録されている事例が随分偏っていることに気付いて、それで7月26日付「小松和彦監修『日本怪異妖怪大事典』(2)」及び7月27日付「小松和彦監修『日本怪異妖怪大事典』(3)」に引いた凡例や解説を参照してその理由を知ったのですが、確かにデータベースは便利でしょうし(余り妖怪に興味のない私は活用出来ていませんが)予算や期間が限られた中で可能な目標と云うことで、「民俗学の専門雑誌/民俗学関係雑誌」の記事を竹田旦 編『民俗学関係雑誌文献総覧』から、「近世の事例」を『日本随筆大成』『続日本随筆大成』から、そして「現代の事例」は7月28日付「小松和彦監修『日本怪異妖怪大事典』(4)」に引いたように「不思議な世界を考える会」、と云う風に、範囲を限定したのも仕方がなかったとは思います。データベースにない事例を各項目の解説文に挙げることは可能だと云っても、長々と書く余裕は与えられておりませんから、この事典は飽くまでもベースとなった「怪異・妖怪伝承データベース」に集められた事例の解説書と云った按配です。各項目の執筆者も、自分の専門とする妖怪を担当する訳でもないでしょうから*1、せいぜいデータベースの事例を基に何となく纏めた、と云った按配の事項も少なくないのです。――そう考えると、バランスの悪い、随分いびつな造りの事典と云うべきで、一般の利用には12月5日付(75)に挙げた村上健司(1968生)の事典の方が便利なのではないかと思われます。
 もちろん、「怪異・妖怪伝承データベース」を基に作れば当然こうなるべきなのですけれども、問題は、利用者が必ずしもこうした偏りを意識しないであろうことです。すなわち、この事典の各項目に挙がった事例を、その怪異・妖怪についての典型例と早合点して摘み食いする輩が出て来るであろうことを危惧します。
 それからもう1点、私が強く感じるのは、事例を拾った「民俗学の専門雑誌」の質の問題です。一口に「民俗学関係雑誌」と云っても、戦前の「昔話研究」*2のように学問的な資料を提示しているものと、これも戦前ですが「旅と傳説」のように読物としての提供を兼ねているようなものと、質に大きな違いがあります。これに、執筆者の個人的な資質も関わって来るでしょう。自分が聞いた訳でもない、雑誌や本から拾った話を、実際に自分が現地で聞いたかのような前置きを添えて発表したものが、現実にこのデータベースには紛れ込んでいるのです。そこまでではなくとも、信憑性に疑問のあるもの、近世の文献に出ていたものを、典拠を示さずに「伝説」として紹介しているようなもの*3も、当然入り込んでいることでしょう。――そう云った辺りの吟味が、このデータベースでは出来ていない(と云うか、方法の上で不可能な)のですが、そのことが利用者には恐らく伝わらないであろうことも不安です。いえ、事典を作成した側にもその意識が希薄なのではないか、と私はその点も危惧しています*4。――自分の使用する資料が素性の正しきものかどうか、信頼するに足るかどうか、それを吟味することは研究上不可欠のことなのですけれども、このデータベース/事典が、そこのところを飛び越えてしまう状況を作りかねない、そんな不安です*5。用例採りに雇われた若手研究者たちは、作業していてその点に不安を感じなかったのでしょうか。もちろん、一律に採ることになっておれば不安を感じても、定められた通りにこなすよりなかった訳なのですけれども。
 もちろん、一々吟味していては、こんな事典も、データベースも作れません。――私のような人間は、それで良いじゃないか、と思うのです。凡例も確認せず限界があることも諒解せずに、安易にデータベース・事典の事例を摘み食いをして、好き勝手なことを書く連中が出て来るよりは、そうならない方が私にとっては望ましいので。けれども、そういう訳に行かぬ以上、このデータベース・事典が実はいろいろと難しい問題を抱えたものであること、そして今後(難しいとは思いますが)是非とも改善すべきものであることをも、私は強調して置かないではいられないのです。(以下続稿)

*1:尤も、そんなものがある(!)訳でもないでしょうし、幾ら詳しくても国際日本文化研究センターの人脈に繋がらない人間は執筆者には入って来ない(と云うか、呼ばれない)でしょうし。

*2:横浜市立図書館に「昔話研究」の復刻版を購入させたのは私です。――と書いて、これも実は記憶違いかも知れませんが。

*3:もちろん、このデータベースは朝里氏の事典のように一応「現代」に限定したものではないので、伝承自体が存在しておればそれで良いのですけれども、しかし伝承が行われていた時期について、混乱を来す原因になりかねないでしょう。

*4:分かりにくい取扱説明書のように「書いてありました」みたいな。もちろん、虚偽の報告でも流布に影響があったと思われるように、決して無視して良いものではないので、データベースには載せるべきだとは思うのですけれども。

*5:一周回って、このデータベースに採用されていることで、信用するに足る資料だと云う印象を持って、末広氏の書いたようなものを研究資料扱いして真面目に検討するようなことになりはしないか、と云うことも、私は懼れるのです。