瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

別冊太陽「森鴎外」(2)

・別冊太陽 日本のこころ 193「森鴎外 近代文学界の傑人」(2)
・昨日見た1章め、山崎一穎「鴎外の生涯」には、研究者や作家の書いたコラムが5つ挿入されているが、その4つめ、36~39頁、岡井隆「詩歌人 鴎外の謎と魅力/日露戦争従軍の体験詩歌句集『うた日記』から」にはカラー写真で、36頁右下に『うた日記』の函と、一五四頁及び見開きの挿絵(頁付なし)を、37頁には出征先から森於菟や潤三郎に宛てた詩・句・短歌を書いた葉書4通を掲載している。その1通め(37頁上右)は浜辺を描いた洋画の、空の部分に詩「春」を書いたもので、左に明朝体縦組みの赤で翻刻が示され、下に明朝体横組みの黒で以下のキャプションがある。改行箇所は(文中「/」が使用されているので)「|」で示した。

明治38年5月24日付、鴎外から於菟あてに、戦死者を偲ぶ詩(の|ちに『うた日記』に収録)を書き送っている。高湛(たかやす/た|かしづ)は鴎外の別号。文京区蔵

とあるのだが「高湛」は号ではなく諱だろう。林太郎と云う名前は元来、元服前の幼名みたいなものである。ところで「春」は『うた日記』(明治四十年九月二十七日印刷/明治四十年九月三十日發行・實價金壹圓八拾錢・春陽堂・四八七頁)二三六~二三七頁に掲載されているが、題の脇に小さく「(明治三十八年四月二十三日於奉天)」と添えてある。
・51~82頁「鴎外という鉱脈」の章に、54~59頁「交流録 鴎外あての書簡から」として、葉書を12通、表裏両面をカラー写真で紹介している。
 1通め(54頁右)は「正岡子規、「めさまし草」絡みで一八九六(明治二十九)年二月一日付」と題して、左に一部を「「思ひつきたる悪まれ口書き記して御参」」と示している。これは裏面3行めをそのまま抜いたものだが「/思ひつきたる悪まれ口書き記して御参/考といかぬも‥‥」と続けているので「御参」で切るのは変である。
 6通め(56頁)の「石川啄木、礼状を認める*1一九〇八(明治四十一)年六月九日付」は裏面の文面を全文翻刻しているが、冒頭「拝啓、‥‥」とするが写真を見るに「拝呈、‥‥」で頭語が誤っている。(以下続稿)

*1:ルビ「したた」。