瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(167)

 私は何周年とか、何回めとか、入場者数何人めとか、そんなことは余り気にしないのだけれども、昭和14年(1939)の赤マントについては80周年を期して何とか纏めてみたいと思っていました。
 今日は2013年11月8日付(18)に取り上げた記事、新聞が初めてこの流言を取り上げてより丁度80年めでした。尤も「都新聞」夕刊に出た当該記事ではまだ「赤マント」と云うことにはなっておりません。記者が他の要素を重視してたまたま書き漏らしたのか、それとも、その直後の短時日の内に付け加わったものでしょうか。
 それはともかく、現在の職場が調べ物をするのに適した環境になく、かつて赤マントの新聞記事を渉猟していた頃、――国会図書館に仕事帰り、夕方に立ち寄って、古い新聞のマイクロフィルムなど何時間もぶっ通して見てられませんから、長くても2時間くらいだったろうと思いますが、その程度で切り上げるのが丁度良く、そんな余裕が持てた当時を思い出して、しみじみとしております。今日はあの新聞、明日はこの新聞、と、日にマイクロフィルムを確か2巻か3巻くらいずつ通覧して、次々芋蔓式に辿って行って、それも毎日ではありませんが週に何度か仕事の帰りに国会図書館を回って来ることが出来たからでした。
 今年は若干仕事が楽になりそうなので、何とか今年中に何か形にしたいなぁと思っているのです。尤も楽にはなっても少し回り道をすれば国会図書館に立ち寄れる、と云う環境ではないので、国会図書館にはそのために出掛けざるを得ず、しかしそんな日はやはりなかなか作れそうにないのです。まぁどうにもならなくても、そんなものだろうとは思っているのですけれども。
 
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 念のため今日の「朝日新聞」を眺めてみたのですが、当然のことながら赤マントのことなど出ていませんでした。昭和14年(1939)と現在と――と云ったコラムに御誂え向きだと思うのですけれども。尤も、当時の「東京朝日新聞」は、2018年9月5日付(163)に見たように当局からの御達しに従って「赤マント」の流言を一切報道しなかったのでした。(以下続稿)