瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

川端康成『朝雲』(5)

・「文學ト云フ事」(1)
 25年前の深夜に見たときの記憶はさすがにない。10年前に某巨大動画サイトで予告編部分のみを見た頃までは、少々覚えていたように思うのだが、今となってはもう、動画サイトに上がっているものと、yen-rakuウェブサイト「interzone」の「『文學ト云フ事』アーカイヴズ」の情報とが全てとなっている。しかし何事も、全てを覚えてはいられないし、全てを録って置く訳にも行かない。いや、元来記憶力は良い方で、それを過信したかも知れない。
 記憶が薄れたのには、切れ目がなくなったことも大きいかも知れない。これまで私は、静岡県清水市で幼稚園と小学2年生まで、兵庫県明石市で小学5年生まで、神奈川県横浜市で中学卒業まで、兵庫県某市で高校卒業まで、と、3年か4年ごとに明瞭な区切りがあった。回想に登場する人物・方言・建物・周囲の風景、全て異なっている。しかし東京に出て来てからは、それなりに切れ目もあるけれども、随分時間の流れがぼんやりしてしまったように思う。非常勤講師として勤めた幾つかの高校については、1年ごとに明瞭な区切りがあるのだけれども、詳細に文章化して示す訳に行かぬので、書く機会のないまま忘れ去ろうとしている。――だから学生時代を描いた作品を、女子高に勤めていた頃と同じとは云わないまでも、愛おしく感じられるようになって来たのかも知れない*1
 それはともかく、この番組が私の恋愛小説に対する拒否反応――と云うか小説類を余り読んでいなかったのだけれども、食わず嫌いを改める切っ掛けになったのは確かである。やっぱり読まなかったのだけれども、恋愛と云うと刹那的に盲目的に燃え上ってしまうのが浅墓に思えて仕方がなかったのだが、それは仕方のないことなのだと腑に落ちたのである。
 さて、主人公(語り手)の宮子を演じた井出薫(1976.12.15生)は、2015年1月1日付「森鴎外『雁』の年齢など(2)」にも注意したように当時高校3年生(満17歳)で、「登場スル人物」の「宮子。」の紹介に、「3年生の時に新しく着任した美人/国語教師菊井先生に、好意を抱く。」とあるのと合うようで、「文学ノ予告人」石橋蓮司も「やがて宮子は女学校を卒業します。‥‥」と新潮文庫を手にしながら語るので、何だか高校3年生の卒業年度のことのように見えてしまうのだが、当時の高等女学校は5年制で、かつ、小学校を卒業しての進学先だから3年生は現在の中学3年生、初めて菊井先生に会ったときには満14歳のはずなので、もっと幼いはずである。
 原作では宮子が「三年になつたばかりの四月」から始まって、211~216頁2行めが「三年生」、216頁3行め~222頁6行めが「四年生」、222頁7行め~224頁7行めが「五年生」でその殆ど(222頁11行め~)が「卒業式の日」のことに費やされている。「四年生に進級し」たばかりの216頁5行めに「もう後一年きりのあの方の時間をもつと眞面目にしなければと思つた。」とあるところからして、5年生には「國語」の時間が配当されていなかったらしく、それで最終年度はほぼ「學校生活の終る日」のことに終始しているのであろう。そして224頁8行めから最後までが卒業後、夏休み中に菊井先生は学校を辞め「秋の學期」に「學校にお別れにいらした」菊井先生が「朝の早い汽車」で帰るのを「お見送り」したのが最後、「その後お國の方へいくら手紙を差し上げても、あの方はやはりお返事がない」と云った辺りで幕を閉じる。
 この小説が「新女苑」昭和16年(1941)2月号に掲載されているところからして、最後は昭和15年の夏休みから秋と思われる。そうすると、卒業は昭和15年(1940)3月、「三年生」は昭和12年度(満14~15歳)、「四年生」は昭和13年度(満15~16歳)、「五年生」は昭和14年度(満16~17歳)、宮子は大正11年(1922)4月から大正12年(1923)3月の間に生れたことになる。すなわち、卒業の日とバザアの場面の井出氏は、年相応と云える訳である。
 それはともかく、私なぞからすると、在学中の昭和14年(1939)に赤マントが「東海道」の「松並木」が通学路になる、「お教室の窓から富士が見える」この女学校をどのように通り過ぎて行ったか*2、気になるのだけれども。(以下続稿)

*1:私が現役の学生だった頃の私と、小説や漫画・映画・TVドラマに描かれる青春とはやはり違っているので、こう云った作品は3月23日付(1)に述べたように、永遠の憧れと云うことになるのであろう。

*2:近々書籍に纏めたいと思っているが、東京は2月下旬、大阪は7月上旬がこの流言の盛期。