瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(170)

【4月10日追記】
 以下の内容については、先方より誠意ある回答を得て解決しました。
 記事については備忘と自戒のため、そのままとして置きますが、現在何の問題もなきことをお断りして置きます。

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 正直、これ以上この話を続けたくはないので、後は4月2日付(169)に書いたことを汲んで、笹方氏が宜しく対処して下さるであろうことを期待したいところなのですが、善処を期待して2012年5月23日付「再びコメント欄について(3)」に述べたように痛い目に遭わされたことが度々あるので、もっと突っ込んで書くしかない、と思っています。
 烏山氏の論考の大半は当ブログの剽窃で、オリジナルの部分は僅かである、と云うのが私の見当です。
 こちらの希望を率直に申しますと、笹方氏は烏山氏の論考を主宰する会の同人誌に掲載してはいけない、と云うことに尽きます。
 呟く気は全くないのですが、twitter のアカウント(現在停止中)も取得したので笹方氏と直接交渉する覚悟です。――これまで、この方向性のないブログに付き合せるのが申し訳なく、知人にも当ブログのことは全く知らせていなかったのですが、こうなっては頼りになりそうな知人に助力してもらう肚も固まりました。始めた頃は記事数も少なかったので(読もうと思えば全部読めなくはなかったから)遠慮したのですが、今から知らせても全部読もうなどとは絶対思わないでしょうから、当初の危惧はもう不要だと思うようになりました。
 それはともかく、以下、何故取り下げまでを求めるのか、その理由を説明して置きましょう。
 烏山氏の論考の内容は、4月2日付(169)に貼付したニコニコ動画「[ゆっくり妖怪雑話] 赤マントは日本初の吸血鬼である」にて察することが出来るようです。
 細かい検証もするつもりですけれども、差し当たり烏山氏が引用している赤マントに直接関わる資料について、当ブログとの依拠関係(と断言して置きます)を指摘して置きましょう。
松谷みよ子『現代民話考7』*1 ← 2013年10月24日付(3)
・『三田村鳶魚全集』第廿七巻 日記昭和十四年二月二十一日条 → 未載録、2019年4月6日付(172)予定
・「東京日日新聞」昭和十四年二月二十四日夕刊(二十三日発行)*2 ← 2013年11月14日付(24)
・「ダイヤモンド」昭和十四年三月一日号 ← 2018年9月3日付(161)
・「中央公論」第四号*3大宅壮一 ← 2013年11月20日付(30)
・『日本現代怪異事典』 ‥ 2018年8月23日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(40)*4
・「中央公論」第四号*5「東京だより」 ← 2013年11月19日付(29)
・「讀賣新聞」二月二十六日夕刊*6 ← 2013年11月3日付(13)
・「東京日日新聞」二月二十八日夕刊*7 ← 2013年12月7日付(47)
・同年二月二十三日「報知新聞」夕刊 ← 2013年11月15日付(25)
・二月二十日の「國民新聞 ← 2013年11月9日付(19)
・「大阪毎日新聞」一九三九年七月一日朝刊 ← 2014年2月10日付(110)
・ 同年六月下旬頃に北大阪を中心に噂 ← 2014年2月8日付(108)
・一九三六、三七年頃は記憶違い ← 2014年7月11日付(139)等に検証済。
 今は余り細かい突っ込みはしないつもりだったのですが、どうしても気になってしまうので註の形で記入して置きました。
 烏山氏は資料を豊富に引用するのですが、『三田村鳶魚全集』を除く殆どの資料が当ブログからの盗用と見なされます*8。盗用でないとしても、既に当ブログにて閲覧可能になっており、改めてこれを発表する意義がない。
 当ブログの記事の盗用= copy & paste に負っている、と推定しましたが、こう書くと烏山氏が「瑣事加減」を見たと証明出来るのか、と云われそうですが、その点については4月2日付(169)に言及した廣田氏に確認を求めるつもりです(迷惑でしょうが、誰がこんなことをさせるのかと思えばやらない訳には行かない)。逆に「瑣事加減」を利用しなかったことの方が証明困難ではないか、と云えば済む話です。
 ところで太字にした2件のみ、引用ではなく「瑣事加減」に記事が紹介されていることを述べています。或いはこれ以外の記事は一応自分でも確認したのでしょうか。しかし、既にこれだけの量が重なるのですから、自分で確認したから自分の名前で発表して良いのだ、と云うものではありません。かつ、引用に付けた考察部分も、当然のことながらかなりの部分が当ブログに重なっているのです。これも実際、既に私がこうして検討結果を公表している以上、屋上屋を重ねるようなことを後から自説のように述べるのは、やる必要のあることでしょうか?
 私は誰もが利用できる形でこれら新聞・雑誌記事を公開していますが、ブログ記事はフリー素材ではない、と云うことを特に強調して置きたい。書籍と同等の信頼性を認められていないようですが(私はここには大いに異議があって、逆のケース――酷い内容・編集の書籍も少なくないと言いたいところなのですが)その引用等については書籍と同様に扱うべきもののはずです。引用には著作権が発生しないにしても、プライオリティは当然認められるべきはずです。ここを認めてもらわないことには、研究と云う営為自体が崩壊してしまいます。
 プライオリティと云うのは、知らずに侵してしまうことがあります。よく末尾に「脱稿後に、同じ主題で××氏が論文を書いていたことに気付いたが、これこれこういう理由から、そのまま発表することとした」と云う断り書きのある論文があります。その「理由」と云うのは、①使用している資料が重ならないこと、②視点が異なること、③論証過程が異なること、④結論が必ずしも一致しないこと、などですが、それはほぼ言い訳だろうと思っています。いろいろな他の理由があって、或いはお蔵入りさせるのが勿体なくて、理由を付けて発表したようなものも少なくないと思います。
 2018年3月1日付「中学時代のノート(2)」の最後に、私が博士号を取得した大学院の指導教授が、私の博士論文の一節と殆ど同じ論証を数年後に私のことを忘れたまま、ある学会の紀要に発表していたことに触れました。これは恐らく当人が気付いたのではなくて、当時その大学院に日本学術振興会特別研究員として来ていた、現在は関西の大学の教授であるGさんが一読思い出して注意したのではないか、と思うのですが、内容的には当然、その後刊行した「新刊」に収録されてしかるべきものだったのですけれども、収録した他の論考の註に私の博士論文とともに言及しただけで、載せていませんでした。
 すなわち、知ってしまった上で、同じ作業を自分やったのだからオリジナルである、と主張することは出来ません*9
 別の例でも説明して見ましょう。私は学部生時代以来、2017年12月31日付「宇井無愁の上方落語研究(1)」に取り上げた、宇井氏の落語研究をもっと評価するべきだ、と思っているのですが、もう内容も殆ど忘れていて、しかしやる気だけは表明して置こうと一応記事にしてみたのですがその後改めて読み直す余裕もないまま(やはり近くの図書館に所蔵がないこと、冊数が多い上に重たい本が多いと云うことが大きい)来てしまいましたが、それでも何か切り口はないかと『上方落語考』をめくっているうちに、妖怪「クダン」について、この噂についての宇井氏の体験が述べてあったのを見付けたのです*10。これだけでも記事にしてみようか、と思ったのですが、念のため、「宇井・上方落語考」で検索してみると(検索ワードは若干違うかも知れませんが)忘れられた書物だけあって古本屋のサイトが、しかも少数ヒットするだけの中に、twitter では笹方政紀の2014年1月7日23:36 の tweet

宇井無愁上方落語考』(青蛙房、1965)に載ってる大坂では珍しいクダン話だぎゅー。中身も珍しく、予言が外れるパターンだぎゅー。(搾乳ぎゅう『件のうわさ』未収録) #大阪おもいこし妖怪隊

がヒットしたので断念しました。プライオリティとはそういうものです。もちろん気付かなかった振りをして記事にすることも出来ます。ちなみにこれが私が笹方氏のことを知った初めになります。私が気付いたのは1年何箇月か前には、笹方氏の twitter のプロフィールに「クダンの仕事」として幾つかの論考が挙がっていましたから、なおのこと、笹方氏が気付いている資料を記事にしても仕方がない(報告にもならない)*11と思ったものでした。
 なぜ、プライオリティを尊重しなければならないか、と云うことで私が重視したいのは、研究史を混乱させない、と云う研究者倫理にかかわる問題があります。(以下続稿)

*1:1987年版の標題は『現代民話考[第二期]II 学校』、増刷時に『現代民話考[7] 学校』に改題。ちくま文庫版は最初から『現代民話考7』。

*2:この書き方は誤解を招きます。1月18日付「新聞夕刊の日付(2)」にも述べましたが、二十三日夕刊が二十四日付で発行されているのです。何故このようなことになっているのかは、当時の新聞の販売網に関わる話ですが、遠からず「新聞夕刊の日付(3)」を用意して説明するつもりです。なお、烏山氏の引用ですが、紙面を見ていないので、当時の記事で解説に当たる部分が段落を改めて1字下げで組まれていたことを理解せずに詰めてしまっています。

*3:「第五十四年第四号」とするか、「昭和十四年四月号」とするべき。

*4:従来説を纏めただけで新知見はなく、いづれ取り上げる予定だけれども急いで検討する必要を認めませんでした。

*5:「第五十四年第四号」とするか、「昭和十四年四月号」とするべき。

*6:ここも当時の新聞の日付を理解していない。二十五日の夕刊が二十六日付で発行されているのです。

*7:ここも同様に、二十七日の夕刊が二十八日付で発行されていることを理解していない。恐らく紙面を見ていないか、見たとしても良く見ていない(すなわち、自分で記事を探し当てたのではない)から、紙面全体の内容と日付の乖離とに気付けなかったからであろう。

*8:うっかりしていましたが、『現代民話考』も除外して置くべきでしょう。

*9:4月6日追記】「が」を「」に改める。

*10:4月6日追記】この一文、長うて不明瞭になっていたので若干加筆。

*11:4月6日追記】この括弧を「仕方がない」の前から後に移動。