【4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めたのだが、赤マントに話が及ぶ前が随分長くなってしまった。これは別の記事にするべきだと思い直して、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称します。すなわち「赤いマント(172)」を「『三田村鳶魚日記』(01)」に改めます。記事名や番号のズレを修正した他は手を入れておりません。
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・『三田村鳶魚日記』(1)
私も夏休み手帳の他、中学3年生の3学期、それから学部生から大学院生に掛けての10年余り、日記を付けていた。
中学3年生のときの日記は、今は段ボールの中に埋もれていて俄かに読むことが出来ないが、これを書いたことで今でも当時の同級生たちのことを生き生きと思い出すことが出来るのである。学部生から大学院生までの日記はただの行動記録で、何時何分の何線の電車の何号車の何処に立ち、途中のビルの屋上にある電光表示の時計と温度計の数値やら、車窓から見下ろす水の色や施設の込み具合など、駅で下車してからは何坂を下って何坂を上って何橋を渡って何図書館に立ち寄って、大学では誰彼に会って、と、そんなことばかり延々書いている。だから学校や図書館に出掛けただけでも1頁分になるのだが、用紙はB4の感熱紙の裏側で、袋綴じにして(今、袋綴じと云うと何だか別の意味になるらしいが)何十冊にもなってしまった。
当時私は父が退職するまでは目黒区、その後は横浜市に住んでいて、地下鉄サリン事件当日は学部卒業間際の春休みで、行かなくても別に怒られなかっただろうに都立日比谷図書館の返却日だったので、私は午後、わざわざ日比谷図書館に出掛けて、それからシャッターの下りた霞ヶ関駅の入口を見、日比谷駅から千代田線に乗って蛍光灯の付いた無人の霞ヶ関駅を通過している。2013年3月21日付「鶴見事故(2)」の最後に触れた営団地下鉄日比谷線中目黒駅構内の脱線衝突事故のときは博士課程の春休みで、横浜から定期で、あの辺りは目黒区在住時、東横線の定期が切れている期間に地下鉄に乗る場合、中目黒駅まで歩いて東横線の分の運賃を節約していたくらいで、まぁ地元みたいなものだったから、運転していた東横線に上り下り何度も乗って、停車したままの日比谷線の上りと下りの列車を観察したのである。
大きな事件や事故に遭遇したのはこのくらいで、他に何か目ぼしい記事があるのだかないのだか、そんなにはないはずで全てに資料的価値もなければ中学の日記のような読物としての面白みもない。別に付けていた読書記録と図書館利用記録と、1:10000地形図に書き入れていた行程と照らし合わせないと当時の行動を立体的に再現出来ないような代物で、もうそんなことをする余裕など私の余生にはなさそうだし、残念ながら当時の私には、今の私にそんなことをさせる魅力もない。それでも挟み込んだチラシや半券、それから日比谷線の事件・事故当時の駅に掲出されていた注意書きの写し(写真ではない)などにはそれなりの価値はありそうだから、そのうち実家の物置から引っ張り出して摘録を作りながら徐々に処分して行こうと思っているのである。
確か、1年ごとに「丁丑日録」のように「干支+日録」と題してあったと思うのだが、総称としては「私の名前+日記」と云うことになるのであろうか。日記の題と云うものは、特に著者によって題名を与えられていない場合、それから複数冊あって1冊ごとに異なる名称が与えられている場合には総称として、「著者名+日記」との呼称が与えられることになっている。
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三田村鳶魚(1870.三.十七~1952.5.14)の日記は『三田村鳶魚全集』(中央公論社・四六判上製本)の次の3巻に分冊されて収録されている。
・第廿五巻 日記(上) 昭和五十二年四月十五日印刷・昭和五十二年四月二十五日発行・445頁
三田村鳶魚全集 第25巻 日記 (上) 自明治43年 至大正11年
- 作者: 三田村鳶魚
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1977/04
- メディア: 単行本
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・第廿六巻 日記(中) 昭和五十二年五月十五日印刷・昭和五十二年五月二十五日発行・437頁
三田村鳶魚全集 第26巻 日記 (中) 自大正12年 至昭和9年
- 作者: 三田村鳶魚
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1977/05
- メディア: 単行本
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・第廿七巻 日記(下) 昭和五十二年六月十五日印刷・昭和五十二年六月二十五日発行・453頁
- 作者: 三田村鳶魚
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1977/06
- メディア: 単行本
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すなわち『三田村鳶魚日記』と云う標題で公刊された訳ではないが、一部に慣用に従ったこの呼称が行われているので、当ブログでも以下『三田村鳶魚日記』と呼ぶことにする。
さて、烏山奏春のニコニコ動画「[ゆっくり妖怪雑話] 赤マントは日本初の吸血鬼である」に指摘されている『三田村鳶魚日記』の赤マントの記述は、4月4日付「赤いマント(170)」に見たように、第廿七巻に収録されている。次回、当時の三田村氏の状況を確認しながら、日記の記述を見て行くこととしよう。(以下続稿)