瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「三田村鳶魚全集月報」(1)

 4月19日付「『三田村鳶魚日記』(08)」に、朝倉治彦 編『鳶魚江戸学 座談集の「編者あとがき」から、「三田村鳶魚全集月報」連載の座談会及び『鳶魚江戸学 座談集について説明した箇所を抜いて、27回やった座談会(鼎談)のうち収録しなかった6回分について、全く断っていないことに注意して置いた。
 その後、「三田村鳶魚全集月報」のみを纏めて借りることが出来たので、この点について検討して置こう*1。朝倉氏は「編者あとがき」に「全五十四人」としているが、森銑三が2回出ているので全53名である。
 それでは、掲載順に細目を示して置こう。まづ、1頁めの題字の下に示されている月報の号数、挟んでいた全集の巻数(第3号までは記載がないので「編集室から」より〔 〕内に補って示す)と年月を挙げた。号数と年月を太字にしたのは識別のためで、明朝体横組みで小さく入っている。巻数はさらに小さい。
 次に1頁上段1行めの座談会の題と2~4行めの出席者(うち3人めの「(司会)朝 倉 治 彦」は省略)を示した。単行本『鳶魚江戸学 座談集への再録については掲載順を【 】内に算用数字で示し、単行本の題は改題されていなくても示し、頁数を添えた。再録のないものは「再録ナシ」とした。
 その次に初出では途中に挿入される写真の、下に横組みで小さく入っている「キャプション」と掲載位置を示した。次いで2字下げ2行鳥でやや大きく入っている節の見出しとその位置を列挙した。単行本に再録されているものは、その2字下げ3行取りでやや大きく入っている節の見出しについてその位置と変更がある場合は改められた見出しも示した。それからやはり初出のみ、末尾に示されていた(開催日 場所)を添え、そして参考までに最後に子持線で仕切って小さく添えられる「編集室から」の本文総行数(と段落ごとの行数)を添えた。座談会が掲載される第27号までは全て12頁で、題字に続いて座談会が始まっている。11頁で終わっているものにのみ11~12頁がどうなっているのか※に注記した。
第1号〔第十一巻〕昭和50年4月
 「江戸学のすすめ」南條範夫/暉峻康隆
     →再録ナシ
   写真、3頁上段上「左より南條範夫,暉峻康隆,朝倉治彦の諸氏」座敷。
   「三田村学の意味」1頁上段5行め
   「お金のかかった遊郭/の遊び」3頁上段14~15行め
   「夜遊びがむずかしかった吉原」4頁下段10行め
   「遠くなった吉原」5頁下段18行め
   「お寺の門前町はほとんど岡場所」6頁下段2行め
   「上方の元禄快挙の受取り方」7頁下段1行め
   「内蔵助の太夫買いは大嘘」8頁上段3行め
   「花見に水風呂」8頁下段12行め
   「『元禄太平記』と江戸ブーム」9頁下段1行め
  (昭和五十年三月七日 虎ノ門福田家)
   ※11頁末「編集室から」18行(2/7/4/3/2)、※12頁、略年譜
第2号〔第十巻〕昭和50年5月
 「江戸の娯楽と江戸ッ子」戸板康二/池田彌三郎
     →【12】「江戸の芸能㈠」223~242頁
   写真、3頁上段上「左より池田彌三郎,戸板康二朝倉治彦の諸氏」テーブルの上に録音機。
   「大道芸と芸術」1頁上段5行め → 225頁1行め
   「芸能の流れと土着」3頁下段8行め → 228頁8行め
   「渡 職 人」4頁下段3行め → 229頁14行め
   「歌舞伎芝居ともどき(牾)」5頁上段3行め → 230頁11行め
   「落語と狂歌・川柳」6頁上段1行め → 232頁1行め
   「舞台の食事」7頁上段13行め → 233頁15行め
   「江戸の食べ物と江戸ッ子」7頁下段6行め → 234頁9行め
   「江戸ッ子は実在したか」9頁上段22行め → 237頁7行め
   「拡がっていった江戸八百八町」10頁上段13行め → 238頁9行め
   「江戸弁はエスペラント」11頁下段10行め → 240頁15行め
  (昭和五十年四月二十二日)
   「編集室から」7行(5/2)
第3号〔第七巻〕昭和50年6月
 「江戸の都市社会学三田村学」加藤秀俊杉本苑子
     →【3】「江戸の町」49~68頁
   写真、5頁上段左上「左より杉本苑子,一人おいて加藤秀俊朝倉治彦の諸氏」座敷、速記者女性。
   「江戸の治水」1頁上段5行め → 51頁1行め
   「日本人の流水観」3頁上段11行め → 53頁12行め
   「失なわれた江戸語」5頁下段7行め → 56頁12行め
   「日本語教育の欠落」6頁下段23行め → 58頁11行め
   「三田村学は反アカデミズム」7頁下段13行め → 60頁1行め
   「雑学のすすめ」9頁上段3行め → 62頁1行め
   「都市社会学の開拓者」10頁下段3行め → 64頁1行め
   「文化財保護に見る東京と京都」11頁上段13行め → 65頁2行め
   「江戸学は佐幕的に」11ページ下段23行め → 66頁2行め
  (昭和五十年四月二十八日 虎ノ門福田家)
   「編集室から」2行
第4号 第8巻 昭和50年7月
 「江戸の町と生活」岸井良衛池波正太郎
     →【4】「江戸の生活」69~86頁
   写真、3頁上段左上「右より岸井良衛池波正太郎,一人おいて朝倉治彦の諸氏」座敷、速記者女性。
   「ほとんど残っていない東京の江戸」1頁上段5行め → 71頁1行め
   「名所図会と切絵図」2頁下段1行め → 72頁13行め
   「よく歩く江戸の人たち」3頁下段20行め → 74頁3行め
   「江戸の長屋」4頁下段19行め → 75頁1行め
   「市民本位だった江戸の市政」5頁下段11行め → 76頁16行め
   「屋敷の相対替」6頁下段1行め → 78頁3行め
   「世界一の文化国家」7頁上段6行め → 79頁1行め
   「江戸町内の交通機関」8頁上段15行め → 80頁12行め
   「勘の鋭かった江戸の人」9頁下段1行め → 82頁6行め
   「柴田宵曲さん」10頁下段18行め → 84頁2行め
   「点数がよかった長谷川伸」11頁上段17行め → 85頁1行め
  (昭和五十年六月二十一日 有楽町胡蝶)
   ※12頁、森銑三「鳶翁瑣談」、「編集室から」9行(以下続稿)

*1:5月4日追記】この調子で8日まで全27回の座談会を順次紹介して行こうと思っていたのだが、何故だか第5号が綴じ込まれていないことに気付いた。よって先に済ませて置きたかった月報と単行本の対照は、後回しにすることとした。