瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『三田村鳶魚日記』(23)

昭和7年の満韓旅行(7)京城の高松家②
 昨日の続き。7月9日(土)から16日(土)までは、連日 Korean や日本人の学究たちを訪ね、16日19時30分から31分間、京城中央放送局にて講演「江戸ツ子の生活」を放送しています。この間に登場する人名についても確認して置こうと調べ始めたのですが、本題から離れますから別に機会を得て果たしたいと思います。
 三田村氏の京城滞在の後半の日記に、義弟夫婦が登場するのは七月十七日(日)条、352頁下段14~16行め、

曇りて涼し、軽雷、霎雨。○高松夫妻に送られ京城駅よ/り夜行列車にて出発。寝台車中蒸風呂の如し、しかし月/はよし。

と、帰国の途に就くときだけです。
 以後の旅程は4月24日付(11)に述べた通りです。
 さて、この三田村氏が滞在した義弟の家ですが、現存しているようです。imgrumの조성은 ( @analogcabinet )2017年3月22日の投稿に、自動翻訳するに、

100年を耐えた時間の中屋根裏部屋での昼食。 「カナダの建築家ヘンリーボールドゴードン(Henry Bauld Gordon 1855〜1951)が設計して1901〜1903年に完成したものと推定する。最初の建物与えるハンソン電気技師長に勤めたアメリカ人のMacレルラン(RA McLellan)に調査された。朝鮮殖産銀行に勤務した日本人高松類チキ(高松龍吉)が1930年代初め増築し、1956〜2006年ベグムスン氏が住んでいた。後世にも示すことができる歴史的な建物になってほしい」

とあります。原文は「高松龍吉」のみ漢字。もしかしたら同名の別人の家なのかも知れませんが。(以下続稿)