瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『三田村鳶魚日記』(25)

・高松家との関係(2)八重夫人との婚儀
 さて、昨日引いた大正二年八月十三日条の書き振りからして、八重夫人とは婚姻届が受理される前から同居していたことが察せられるかと思います。
 いつ結婚式を挙げたのか、それは婚姻届とは違って日記に確かに記載されています。すなわち、三月十九日(水)条、148頁下段4~5行め、

午前十時半河田町教会ニテ婚儀ヲ修ス、本人ハ便宜上生/家ニ戻シ、先方ノ都合次第引取ルコトトセリ。○‥‥


 この「河田町教会」はキリスト教の教会ではなく神道の一派・禊教の教会です。4月16日付(05)に言及した、「一九会道場」HP「道場の歩み」に、

この時代、禊教会の道場は、東京、牛込河田町の本庄子爵邸内にあったが、‥‥。『みそぎ』といっても水をかぶるわけではなく、『吐菩加美依身多女*1』という祝詞の言葉を力強く、繰り返し唱え続ける行で、仏教にも似たような念仏修行がある。

とあって、牛込區市谷河田町(現・新宿区河田町)の本庄子爵邸、本荘宗義(1867.二.九~1915.4.9)が当主で、2年後に本荘宗久(1900.2生)に継承されます。
 この禊教や一九会との関わりはまだ十分に調べが進んでいません。今はこの事実を指摘するに止めましょう。
 いつから婚儀の話が進められたかですが、三月九日(日)条、147頁上段12~13行め「‥‥。○金森氏夫婦、高松八重女/来る。○‥‥」、三月十四日(金)条、148頁上段3行めに「‥‥。/○木谷氏来話。高松氏使もの。○‥‥」、三月十五日(土)条、148頁上段6~7行めに「‥‥。○中川氏来ル、中川氏/ハ縁談ノタメ小石川ニ往カレタリ。○‥‥」、三月十六日(日)条、148頁上段10行め「中川氏来話。○‥‥」は前日の報告でしょうか。
 ここに登場する金森氏、木谷氏、中川氏の動向を遡って辿って行けば、或いはもう少し事情を察することも出来ましょうが、それはなかなか厄介な作業になりますので、今はこの程度にとどめておきましょう。(以下続稿)

*1:ルビ「とほかみえみため」。