・高松家との関係(9)高松みさを③
昨日の続き。
高松みさをが、姉の嫁ぎ先三田村家で生活するようになったのは大正3年(1914)8月8日、満18歳になる頃でした。
三田村氏は8月6日から8日まで出社するなど仕事をこなし、八月九日(日)条、198頁下段7~8行め、
・・‥。○重ねて湊に来り、加藤爺と湊館に来り、隣荘を賃し、即夜之に移る。○‥‥
と、また平磯に戻っています。八月十日(月)条、198頁下段10~11行め、
・・‥。○夜間、平磯町散策、計量器に就て十三貫二百目、八重十一貫百匁、操十二貫九百匁。
とあって、夫人と義妹を伴っていたことが分かります。三田村氏はしばしば体重を量って日記に記載しているのですが、三田村氏49.5kg、八重夫人41.25kg、みさを48.375kg、と家族の体重が分かって、八重とみさを姉妹の体格が対照的であったことが察せられます。
八月十一日(火)条、198頁下段13行め、
加藤氏、其婿と同伴来話。○大洗遊覧。○調息四炷。
那珂川の対岸に渡って、大洗(茨城県東茨城郡磯浜町)を遊覧しています。
八月十五日(土)条、199頁上段2行め、
磯前に近き護摩壇といふ処の石亀小榭を賃す。○‥‥
この「磯前」は大洗磯前神社ではなく、平磯町と磯崎の間の海岸にある護摩壇石(清淨石)の辺りのようです。八月十六日(日)条、199頁上段5~6行め、
午後十一時帰宅、午前操ヲ挈ヘテ磯前祠辺ニ遊ブ。○コ/ノ行、八重、操を具ス。○‥‥
とある「磯前祠」も、磯崎にある酒列磯前神社のことでしょう。
このように三田村氏は同居早々に義妹みさをも旅行に同行させているのですが、この後も非常に可愛がって、芝居や寄席、行楽地など色々なところに連れて行ったりしているのです。(以下続行)