瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

睡眠不足(4)

 今年もまた、2018年6月1日付(2)及び2018年6月2日付(3)に述べた、梅の収穫時期になってしまった。梅の実は先月中旬から落ち始めていたが、下旬になってから、古い蜂蜜漬けの瓶の中身を纏めて、3つを空にして、実は実家の父に殆ど献上(?)しているのだが、それでは追い付かないので、4リットルの瓶に目一杯詰めて手ずから実家に持って行くことにした。ついでに重いのと運搬中漏れる危険があるのでこれまで実家には渡さなかった汁の方も蜂蜜の1kg容器の2つ、持って行った。そして実家で用意してもらっていたタッパに移し替えて、庭で植木用のシャワーの付いたホースで蓋や側面が少しねちゃねちゃする瓶を洗い、さらに流しで洗剤でもさっと洗い、父と閑談するうち乾いたので持ち帰り、早速、朝拾って陰干ししてあった実を1つ1つ割れや汚れを点検しながら詰めて行く。さらにホームセンターに新たに8リットルのガラス瓶を買いに走る。家にいる日は朝と夕方2度拾い、乾かして瓶に1粒1粒投げ込んでいくのに時間がかかる。止めれば良いのだけれども、せっかく丹精してこんなに実ったのを、むざむざと団子虫や蛞蝓に食わしてしまうのが勿体なくてせっせと拾っている。
 月末の3日ほどが収穫のピークで、夜中にも屋根の上に落ちた実が転がる音がする。直後に庭に落ちるがその音はしない。鳥籠にも落ちるが、もうその音に驚くべき鳥はいない。最後の1羽が昨年の8月10日に(恐らく鼠に)喰われて死んでしまったのである。
【閲覧注意】以下、少々残酷な表現があります。
 長年、背黄青鸚哥を飼い続けて来たのだけれども、昨年の春に、今の家で震災前に生まれた並背黄青の雄が体調不良の末に死亡して、連合いのアルビノの雌1羽になっていた。
 背黄青鸚哥の雌は雄と一緒にいると殆ど鳴かない。しかし1羽になったことで、亡き夫を慕ってか、それとも夫に代わって聞えてくる野鳥の声に返事をしているのか、朝夕に鳴くようになり、どんどん声が良くなって、夏には雄に遜色ないくらいの声で鳴くようになっていた。
 1羽では可哀想なので連合いに若い雄を買って来ようと思いながら、異様な暑さに辟易して、涼しくなってからにしようと思っているうちに、突然悲劇に見舞われたのである。
 昨年の8月、上旬に台風が関東を直撃すると言われていたので、降り出してから家の中に入れると大変なので、予め鳥籠を窓際に入れて、外の空気が入るように網戸にして、風雨が来てから締め切ろうと思っていたのである。
 しかし、幸いにして直撃を免れたため、雌1羽はずっと網戸の内側に大人しくしていたのであった。
 そして、また鳥籠をいつものように外に吊りっ放しにして、2018年6月1日付(2)に述べた穴熊は来なくなっていたし、猫の届く高さではないので、まぁ安心して、10日も朝、甲高い声で盛んに鳴いているのを聞いて、別に何ともなかったのだが、夕方、一旦帰宅して図書館に返却する本を自転車に積んで、その前にちょっと様子を見に行くと、いないのである。よくよく見ると、手前の扉近くの床の上に、血塗れで仰向けになっていた。下腹部が抉れていて、どうも、鼠に扉に少し、1cmくらいの隙間から小動物に侵入されたらしい。止まり木が引っ掛かって隙間が出来ていることは前から把握していたが、背黄青鸚哥が抜け出せる幅ではなく、自分では拡げられないので、そのままにしていたのだが、これを、3mmほど押し上げて侵入したようだ。そして、どうやって鳥籠の入口に達したかだが、網戸を伝ったようである。そして、網戸を伝う知恵を付けたのは、台風で3日程網戸際に鳥籠を入れていたとき、室内の鳥籠は床の上に置いていたから、そこで網戸に飛びかかって、移動出来ることにも気付いてしまったのだろう。そして、地面からは2mほどの高さまで網戸を這い上り、15cmだかを飛び移って、入ってしまったらもう、背黄青鸚哥に上手く逃げのびる知恵はない。敏捷に飛び掛かって喰い殺してしまったのだ。
 どうしようかと思ったが、取敢ずそのままにして図書館に出掛け、帰るともう真っ暗だったので、翌朝埋葬しようと思っていると、夜の内に再度侵入したらしい。頭も胴体もなくなって、翼と脚が残っているだけだった。
 そうでなくても、私はどうも鼠が嫌いである。今の家に侵入されて食物を食い散らかされたこともある。糞も大量に拾った。今はその、何故か階段や洗面台にあった外に通じている穴を塞いだので室内には入り込まれていない。しかし天井裏にはたまに侵入されて、どかどかと走り回られている。怖くはないが、嫌である。ディズニーランドが好きではないのは、鼠だからではないけれども。――著作権を70年に延ばした元凶だから嫌いなのである。どうして白雪姫とかラプンツェルとか、先行作に依拠しながら、自分たちの権利を国際条約を枉げてまで守ろうとするのだろう。ちなみに日本でも70年にされてしまったが、そのとき新聞に松本零士のコメントが出て、子孫も安心みたいなことを述べていたが、70年先まで先祖に面倒を見てもらう子孫なんて、どうなのか。先祖としても、子孫を軽く見過ぎていやしまいか。