瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(187)

田辺聖子『私の大阪八景』(6) 時期タヌキ先生
 それでは、ようやっと小説の本文を検討することにするが、今年刊行したいと思っていた拙著『昭和十四年の「赤マント」』*1には、小沢信男「わたしの赤マント」と合わせて「わたしたちの赤マント」と題する、実際にこの流言を体験した人たちの回想を集めた章に、短い回想集とは「*」を挟んで(独立させずに)軽く分けて収録するつもりである。しかし今年中は無理だと思い始めている。版元に売り込むだけの形にはまだなってないので。自費出版になったら、もちろんのこと収録しません。
 簡単にどんな場面なのかを説明して置こう。
 小説内の時間だが、大体順を追って書かれている*2。すなわち、「 夏休みが始まった。‥‥」のが『全集』第一巻17頁7行め(長篇全集208頁下段15行め・岩波現代文庫14頁1行め・角川文庫(改版)17頁11行め)からで、『全集』第一巻20頁4行め(長篇全集210頁下段12行め・岩波現代文庫18頁1行め・角川文庫(改版)21頁12行め)「 遊んでばかりいたので夏休みはすぐすんでしまった。」の1行に次いで「 新学期がはじまると、‥‥」とあるのが『全集』第一巻20頁5行め(長篇全集210頁下段13行め・岩波現代文庫18頁2行め・角川文庫(改版)21頁13行め)。
 従って位置から考えると2学期、さらに限定すると『全集』第一巻27頁18行め(長篇全集215頁上段10行め・岩波現代文庫27頁11行め・角川文庫(改版)31頁3行め)に「 運動会は例年のように十一月三日にあった。‥‥」とある、それよりも後のことになる。
 しかし、そうとも言い切れないのである。運動会の日に起こった「副級長の斎藤いづみちゃん」の身体的事件のことが『全集』第一巻29頁9行め(長篇全集216頁下段18行め・岩波現代文庫31頁9行め・角川文庫(改版)34頁15行め)まで続き、そして次に、『全集』第一巻29頁10行め(長篇全集216頁下段19行め・岩波現代文庫31頁10行め・角川文庫(改版)34頁16行め)「 タヌキ先生はよく叱る先生だった。」の1行があって、「チョロ松」という「もともと、〈脳タリン〉」の生徒*3が先生の体罰のせいで「いっそう低能になった」一件*4が、『全集』第一巻29頁11行め~30頁17行め(長篇全集216頁下段20行め~207頁下段14行め・岩波現代文庫31頁11行め~33頁10行め・角川文庫(改版)34頁16行め~36頁14行め)に述べられた、そのついでとして、主人公「トキコ」が、授業中に赤マントを扱った「ぼうけん小説」を書いていたのをタヌキ先生に見つかって、叱られた一件が持ち出されるのである。
 だから、書かれている順に起こったのではなく「チョロ松」の一件から思い出して、主人公にとっての同様の事件と云うことで少し遡って、持ち出して来たのかも知れない。しかし、二学期のこととして書かれているようではある。
 なお、タヌキ先生は担任なので、一学期からいたはずなのだが、登場するのは二学期になってからである。主人公「トキコ」と「朝鮮人のタケ子」が「体操の時間に見学で教室にのこっていた」とき、主人公が退屈凌ぎに「おじゃみ(お手玉)」をやっていたところを「校長の馬チャン」に見つかってしまう。これに続いて初登場するのである。『全集』第一巻22頁12~14行め(長篇全集212頁上段12~15行め・岩波現代文庫21頁8~10行め・角川文庫(改版)25頁2~4行め)、

 あとで担任のタヌキ先生は青くなって二人をよんだ。
 タヌキ先生は、タマキ先生が本当だけれども、タヌキに]どことなく似ているからタ\ヌキ|先生だ。この先生/もひどく]怒りっぽかった。


 「馬チャン」のことは6月27日付(185)に引いた楽天少女 通ります 私の履歴書にも見えていたが、本作では『全集』第一巻9頁4~5行め(長篇全集203頁上段7行め・岩波現代文庫2頁3~4行め・角川文庫(改版)6頁3~4行め)「校長\の馬|チャン(北川馬太/郎だから]馬チャン)だ」と名前が少し変えてあり、そして『全集』第一巻9頁12行め(長篇全集203頁下段1行め・岩波現代文庫2頁12行め・角川文庫(改版)6頁12行め)に「 ハゲ頭の小柄な、声の大きな短気な先生だ。」とあって「この先生もひどく怒りっぽ」いことになっていた。(以下続稿)

*1:これが終わったら他に『明治二十九年の「百物語」』と『昭和六十三年の「学校の怪談」』の2冊を書き上げて、怪談史研究3部作にするつもりである。いよいよいつ完成することになるやら知らんが。

*2:8月17日追記田辺聖子長篇全集1『花狩 感傷旅行 私の大阪八景』の本文も見た。一々新たな註で追加を断ると煩いので、以下、括弧の岩波現代文庫の前に長篇全集として追加した。また本文の改行位置も「 ]」で追加した。

*3:「チョロ松」については初登場時に、『全集』第一巻11頁3行め(長篇全集204頁上段17行め・岩波現代文庫4頁14~15行め)「‥‥。]知能指数の低いチョロ松が(吉松という名だけれどチ\ョロ]チ|ョロするからチョロ松だ)、」とあった。角川文庫(改版)8頁12~13行めでは「平松」となっている。【8月17日追記長篇全集も「吉松」だが「土」の「吉」である。

*4:「低能」は聞いたことがない(聞いたけれども認識出来なかっただけかも知れない)が「ノータリン」は私も聞いた覚えがある。現在ではあるまじき表現ではあるが、これを排除してしまっては、昭和がこのような語が遠慮なく飛び交う時代だったことが分からなくなって、ただの貧しくも懐かしい時代と云うことにされてしまう。むしろこうした事実をこそ強調すべきなのではないか。差別語の排除が過去を無批判に美化することに繋がるとすれば、その方が私には恐ろしい。