瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

吉行淳之介『贋食物誌』(3)

 7月24日付(1)に引いた「あとがき」に拠ると連載は昭和48年(1973)12月11日から昭和49年(1974)4月10日まで100回、この間の日数は121日だから、年末年始と週1回くらい、休んでいる勘定になる。
 山藤氏のイラストに注目すると、年記が「17・蟹(かに)③」まで「’73/YAMA/Fuji」だったのが(数字が下に来ることもある)、「18・蕎麦」から「’74/YAMA/Fuji」になっている。これは掲載日か執筆日のどちらであろうか。
 例外としては山藤氏が過去の自分を登場させた回がある。すなわち「29・鯖(さば)①」は「YAMA/Fuji/’44」、「57・ヨーグルト」は「YAMA/Fuji/’50」、「60・番茶③」は「YAMA/Fuji/’53」、「67・汁粉(しるこ)」は「YAMA/Fuji/’48?」となっていて、少年時代の山藤氏に矢印「→」で繋いでいる。
 さらに稀な例外は「19・餅(もち)」で、入れ忘れであろうがこれのみ年記がない。
 「18・蕎麦」は年越し蕎麦に因んで昭和48年12月の最終回、そして「19・餅」から新年、昭和49年1月と見たいところだけれども「18・蕎麦」が既に「’74」になっている。
 それから「44・栗(くり)」は「YAMA/Fuji/’72」となっているが「★ 今回は 当方の不注意により「酒呑みの自己/弁護」の絵がまぎれ込んでしまったことを/おわびします(編集部)」との書き入れがあって昭和47年(1972)に「夕刊フジ」に100回連載され、やはり山藤氏がイラストを担当した山口瞳(1926.1.19~1995.8.30)のエッセイのそれと取り違えたというギャグになっており、塀際で酒を呑んでいる山口氏の丸坊主の頭頂部が塀の上に見えているのを見付けた刺股を持った吉行氏が「ア、大きなクリ !! 」と言いながら駆けて来る場面になっている。

酒呑みの自己弁護 (1973年)

酒呑みの自己弁護 (1973年)

酒呑みの自己弁護 (1979年) (新潮文庫)

酒呑みの自己弁護 (1979年) (新潮文庫)

酒呑みの自己弁護 (ちくま文庫)

酒呑みの自己弁護 (ちくま文庫)

 Wikipedia山藤章二」項の「『夕刊フジ』の百回連載」の節を見るに、作家による100回連載エッセイは山藤氏がイラストを担当した期間でも約20年、しかしネット上には情報が少なく、それ以前からあったのか、その後どのくらい続いたのか、エッセイ・イラスト担当に他にどんな人たちがいたのか、俄に分からない。
 本文からこの100回連載企画についての記述を探すと、①146~147頁・②221~223頁・③253~256頁7行め「71・号外・瓢簞」に、①146頁上段11行め~下段11行め・②221頁7~14行め・③253頁8~15行め、

 夕刊フジの一〇〇回の連載を引受けたとき、これは大変/なことになった、と私はおもった。\新|聞小説の連載は何度/か経験があるが、毎日々々*1の随筆となると途方にくれる気/分になる。
 前任者諸氏も口をそろえてそう言い、筒井康隆などとな/【146上】ると、
「あれは、もう気が狂いそうになるくらいツライ仕事です/よ」
 と、おどかす。彼が連載したときのタイトルは「狂気の/沙汰も金次第」であって、諺を二\つく|っつけ合わせただけ/の趣向のものだと思っていた。しかし、自分が連載をはじ/めてみる\と、
「あ|あ、あのタイトルには深い意味があったのだな。随筆/一〇〇回連載とは狂気の沙汰\であり、それ|をやるもやらぬ/も原稿料次第という意味か」*2
 と、悟った。

とある。しかし7月24日付(1)に引いた「あとがき」に拠れば「私は生れてはじめてといってよいくらい、気楽に原稿を書くことができた」のであって、流石に連載中は「ツライ」と云う話をしてくれた前任者諸氏の気持ちを忖度して、ツライ振りをしたのであろう。

狂気の沙汰も金次第 (新潮文庫)

狂気の沙汰も金次第 (新潮文庫)

 Amazon レビューの評価が低いので何事かと思ったら、Kindle 版が山藤氏のイラストを収録していないために、以後低評価が多く付いたためだと分かった。――当ブログでも何度か書いたことがあるが、Amazon は版によってレビューを分けて示し、その上で簡単に他の版へも移動出来るように工夫して欲しいものである。(以下続稿)

*1:③「毎日毎日」。

*2:②③はこの鉤括弧の前後を段落分けしない。