瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(100)

・青木純二『山の傳説』(3)
 昨日に続く場面を引用する。要領は昨日に同じ。102頁9行め~105頁、

 飯の仕度をいそいでゐる主人はふと、奥の部屋で八つになる男の子がはげしく泣き出す聲/をきいた。*1
『これ、何を泣くんだ。』*2
 子供のところ飛んで行つた。*3【102】
 子供は眞青な顔をして、身體をわなわなとふるはせてゐたが、父親を見ると、飛び起きてしが/みついた。*4
『父ちやん怖いよ。』*5
 更にはげしく泣くのである。*6
『何も怖いことはない。お前、夢でも見たんぢやないか。』*7
 子供は泣きながらはげしく首をふつた。*8
『いゝや、怖いんだよ、父ちやん、怖いんだよ。』*9
『何が怖いんだ。』*10
『父ちやんあの人が怖いんだよ。』*11
 子供はさつき來た紳士を指しつゝ父親にしがみつくのである。*12
『あの人が。』*13
 主人は紳士を見た。彼は、煙草をうまさうにふかしてゐた。別段、怖ろしいものはなかつた。*14【103】
『馬鹿だね、あの人はお客さんだ。立派な旦那だ。ちつとも怖くはない。』*15
『いゝや、怖いよ、怖いよ。』*16【E】
 氣がつくと裏口に飼つてゐる二匹の犬もさかんに吠えてゐる。それが山峡に響いて主人も身ぶ/るひするやうな凄さを感じた。*17【F】
 主人は子供を抱きしめながら考へた。*18
『畜生! あの洋服男は狐かも知れないぞ。燒鳥の匂ひにつられてばけて來やがつたんだ、きつ/と。』*19
 山峡の人は狐がばけることを信じてゐる。だから、犬が吠えたり、子供が怖えたりするので狐/を想像したのだ。*20
『鐵砲を射つてやらう。狐なら正體を現して逃げるだらう。』*21
 主人は子供をつれて裏口からこつそり外に出た。*22
 月は美しく冴えてゐた。秋の蟲がしげく啼いてゐた。犬はしきりに、家の中に向つて吠えてゐ*23【104】る。
 主人は鐵砲に彈丸をこめると、空に向つて一發ズドン! と放つた。彈丸が螢のやうに飛んで/いつた*24
 更に一發、夜の靜寂を破つて發射した。*25
 そつと、家の中をのぞくと紳士は平氣な顔をして煙草をのんでゐる。*26
『狐ぢやない。』*27
 主人は思つた。*28
 が、犬吠える。子供は矢張り泣いて怖える。*29
『どうしました。狐でもゐたんですか。』*30
 紳士がきいた。*31
『へえ。』
 主入は答へた。*32【105】【G】


 以下、赤の太字で示した『山の傳説』に追加されている箇所を除く異同を挙げて置こう。
 【E】泣き、怯える子供では、一九二頁10行め「子供のところ飛んで行った。」、11行め・16行め・一九三頁3行めの書き出しは全て「少年は」となっていた。6行め「ちっとも怖くはない」。
 【G】主人の疑いと行動〜狐・鉄砲では、一九三頁10行め「主人は少年を」、13~14行め「狐/を連想したのだ。」、一九四頁1~2行め「一発ズドン!と放った。弾丸が蛍のように飛んでい/った更に一発、」と段落分けしていなかった。3行め「そっと、家の中をのぞくと例の紳士は」、4行め「狐じゃない。」、4行め「が、犬吠える。」――すなわち、赤で示した字句は『山の傳説』では削除されたのである。(以下続稿)

*1:ルビ「めし・し たく・しゆじん・おく・へ や・をとこ・こ・な・だ・こゑ/」。

*2:ルビ「なに・な」。

*3:ルビ「こ ども・と・い」。

*4:ルビ「こ ども・まつさを・かほ・からだ・ちゝおや・み・と・お/」。

*5:ルビ「とう・こわ」。

*6:ルビ「さら・な」。

*7:ルビ「なに・こわ・まへ・ゆめ・み」。

*8:ルビ「こ ども・な・くび」。

*9:ルビ「こわ・とう・こわ」。

*10:ルビ「なに・こわ」。

*11:ルビ「とう・ひと・こわ」。

*12:ルビ「こ ども・き・しんし・ゆびさ・ちゝおや」。

*13:ルビ「ひと」。

*14:ルビ「しゆじん・しんし・み・かれ・たばこ・べつだん・おそ」。

*15:ルビ「ば か・ひと・きやく・りつぱ・だんな・こわ」。

*16:ルビ「こわ・こわ」。

*17:ルビ「き・うらぐち・か・ひき・いぬ・ほ・さんけふ・ひゞ・しゆじん・み/すご・かん」。

*18:ルビ「しゆじん・こ ども・だ・かんが」。

*19:ルビ「ちくしやう・やうふくをとこ・きつね・し・やきとり・にほ・き/」。

*20:ルビ「さんけふ・ひと・きつね・しん・いぬ・ほ・こ ども・おび・きつね/さうざう」。

*21:ルビ「てつぱう・う・きつね・しやうたい・あらは・に」。

*22:ルビ「しゆじん・こ ども・うらぐち・そと・で」。

*23:ルビ「つき・うつく・さ・あき・むし・な・いぬ・いへ・なか・むか・ほ」。

*24:ルビ「しゆじん・てつぱう・た ま・そら・むか・ぱつ・はな・た ま・ほたる・と」。

*25:ルビ「さら・ぱつ・よる・せいじやく・やぶ・はつしや」。

*26:ルビ「いへ・なか・しんし・へいき・かほ・たばこ」。

*27:ルビ「きつね」。

*28:ルビ「しゆじん・おも」。

*29:ルビ「いぬ・ほ・こ ども・や は・な・おび」。

*30:ルビ「きつね」。

*31:ルビ「しんし」。

*32:ルビ「しゆじん・こた」。