・堤邦彦「「幽霊」の古層」(5)
昨日の続き。
さて、堤氏が「蓮華温泉の怪話」に注目したのは何時からなのか、或いは「「幽霊」の古層」以前の論及があったかも知れないと思せるのは、次のコラム集の存在である。
堤邦彦・橋本章彦 編『異界百夜語り』平成26(2014)年10月24日初版発行・定価1800円・三弥井書店・223頁・A5判並製本
- 作者: 堤邦彦,橋本章彦
- 出版社/メーカー: 三弥井書店
- 発売日: 2014/12
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
1~4頁、堤邦彦「まえがき」は、全体の導入で成立の事情には触れていない。220~221頁、もう1人の編者、橋本章彦「あとがき」に成立の事情を述べている。冒頭部を見て置こう。220頁2~7行め、
本書は、二〇〇四年一月から二〇〇九年三月まで、おおよそ五年のあいだ全国農業新聞に連載さ/れたものを中心に、書き下ろしの数点をあらたに加えて、全部で百話に整理して成ったものである。
原稿の提出は、二週間もしくは一ヶ月に一度のペースであったから、とうてい一人の力では対応/しきれるものではなく、当然多くの方々のご協力を仰ぐことになった。五年もの長きにわたって連/載できたのは、ひとえに “おもしろいものを” という筆者の注文に応えてくださった執筆者各個の/工夫と熱意のたまものである。
「まえがき」の前、頁付のない前付は1頁めに扉、2~7頁めが「もくじ」で8頁めは白紙。「もくじ」を見るに9章に分けられている。19人の執筆者で分類順・収録順に連載したとも思えないから、単行本化に際して分けたのであろう。
さて、本書には「蓮華温泉の怪話」を収録する杉村顕道『怪奇伝説 信州百物語』への言及がある。それは3章め(55~83頁)24~37話めの14話を収録する「生活に潜む不思議」で、堤邦彦執筆の2話が触れている。
まづ、25話め、58~59頁「駕籠に乗る怨霊なぜか重たい」冒頭、58頁2~8行め、
惨殺された腰元の亡霊が井戸端で皿の数を数える。番町皿屋敷などで名高いお菊の怪談は、講談/や芝居の世界にとどまらず、全国各地の口碑・伝説に語られている。伊藤篤『日本の皿屋敷伝説』/によれば、それらの伝承地は四八カ所の多きにおよぶという。いずれも女霊の祟りによって主人の/家筋が絶える名家没落の因縁にこの物語の定型がみてとれる。
一方、長野県松代町のお菊大明神をめぐる怨霊話には、背筋の凍るような後日譚が付け足されて/いる。杉村顕道の『怪奇伝説 信州百物語』(一九三四年)によれば、天正の頃、上州沼田・真田氏/の家中に小幡上総介という侍がいた。ある朝、‥‥
続いて小幡上総介がお菊を殺し、祟られることになるのだが「皿」は問題になっていない。そして、58頁14行め~59頁4行め、メインになる「駕籠の数の怪」からお菊大明神に祀ることになる件を、特に2字下げで強調している。なお、5~6頁も2字下げになっているが、ここはコメントなので字下げにしなくて良いだろう。
なお、長野県(埴科郡)松代町は、昭和41年(1966)10月に長野市に合併されて「長野県長野市松代町」になっている。しかし真田氏十万石の城下町として今でも独自の存在感を放っているから、これはこれで良いのであろう。
『怪奇伝説 信州百物語』【41】お菊大明神の話(355~358頁11行め)は、9月2日付(107)に指摘したように『松代町史』下卷を典拠とする。今後は編纂物に過ぎない『怪奇伝説 信州百物語』ではなく『松代町史』に差し替えるべきであろう。或いはその典拠まで遡るべきかも知れない。
ここで気になるのは「杉村顕道の『怪奇伝説 信州百物語』」との、著者名と書名である。
『怪奇伝説 信州百物語』の著者が杉村顕道であることが明らかにされたのは、9月7日付(110)に引いた、東氏のブログ「東雅夫の幻妖ブックブログ」の2009年10月12日「『信州百物語』の著者は、杉村顕道だった!」で、さらに翌年2月に叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』に初めて杉村顕道の著作として収録再刊されたので、「全国農業新聞」連載終了後である。
かつ書名も、9月11日付(114)に引いた、2009年10月29日に東京創元社のウェブマガジン「Webミステリーズ!」にアップされた北原尚彦「SF奇書天外REACT」に指摘されるまで、初版の標題『怪奇伝説 信州百物語』ではなく、かなりの部数が発刊されたと思われる再版以降の標題『信州百物語 信濃怪奇伝説集』の方が知られていた*1。そしてやはり叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』に初めて初刊時の標題で収録再刊されたのである。
従って、可能性としては、①連載時には「著者不明、信濃郷土誌刊行会編『信州百物語 信濃怪奇伝説集』」としていたのを、単行本に纏める際に『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』に従って改めたか、②連載時にはなかった「書き下ろしの数点」の1つであるか、この2つが考えられよう。
しかし、掲載の順序や年月日の注記がないために、これが分からない。
仕方がないような気もするのだが、「あとがき」の220頁12行め~221頁2行め、
本書の書き手の一人一人は、それぞれ国文学、民俗学、歴史学などの専門の研究者であり、新進/気鋭からベテランまで、いずれもその多くは第一線で活躍なさっている人たちである。それゆえ、/一つ一つのエピソードは、各個の深く広い学識に裏打ちされているものばかりである。そしてその/集合体としての本書は、学問分野を横断することにより、個々の分野に自閉していただけでは描け【220】なかった “もう一つの世界” を浮かび上がらせているように思える。つまり、読み物としておもし/ろいのみならず、学問的にも次へつながる何ものかを示しているというわけである。
と云う記述を読むと、もう少し何とかして欲しかった、と思ってしまう。すなわち、多少なりとも研究面での評価に堪えるものとの自負もあるのであれば、閲覧場所の限られる週刊紙「全国農業新聞」掲載と云うことを勘案して、初出の掲載年月日を添えて欲しかったと思うのである。掲載順と収録順は合致していないものと思われ、初出を探すには5年分の「全国農業新聞」を見て行かないといけない*2。
それから、「書き下ろしの数点をあらたに加えて」と云うからには連載は100話を満了せずに終わっているようだけれども、連載のタイトルも「異界百夜語り」だったのだろうか?
――或いは、お前は瑣末なことを気にし過ぎていると思う人がいるかも知れない。しかし、これは気にせざるを得ないので、その理由については、次回、60~61頁、26話めの検討に際して、述べることとしよう。(以下続稿)