瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(127)

・『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』(3)
 昨日の続きで「二十二 招かれざる客 北安曇郡」の、丸山政也のコメントの残りを見て置こう。99頁10行め~100頁(5行め)、

 もっともこの時代は、こういった怪談話は口伝え、いわば口承文芸的に広まったたため、/どの話が起源であるかと探るのは野暮というものだ。実際、昔はこれとよく似た話を老人/から聞かされたひともいるそうだが、それには結末が二通りあるのだそうだ。
 ひとつは杉村や岡本が書いた話と同じ結末をもつもの、もうひとつは殺人犯の旅人が亡【99】霊に悩まされて自首するというものである。こういった違いも面白い。
『木曽の旅人』は御嶽山山麓、そして杉村顕道の話は白馬岳の宿の話とあって、いずれ/も信州の山が舞台となっている点が興味深い。
 岡本綺堂の名作『木曽の旅人』を未読の方には、この話と一緒に併せ読んでいただくこ/とをお勧めしたい。


 99頁10行め末の「‥‥たたため、」は原文ママ
 この件を初めて読んだとき、9月16日付(119)に述べたように、最初、丸山氏も北アルプスの登山者から「二通り」の口承化した「蓮華温泉」の話を聞いたのかと勘違いしてしまったのだが、そうではなく、蓮華温泉が舞台でもない、結末が堤邦彦の云う「お二人様」になっているものと、朝里樹の云う「おんぶ幽霊」になっているものとの違いらしい*1。いや、よく考えるとそうすんなりと分けられる訳ではない。すなわち、「お二人様」の場合も、当の殺人犯にも見えているパターンと、当人には全く見えないが周囲には普通の連れのように見えているパターンがあり、そして殺人犯が射殺されたため、当人が幽霊のことを認識していたかどうか不明(私は認識していなかった、と云う読みだけれども、決定は出来まい)の「木曾の旅人」と、自首こそしなかったものの逃亡中も、2018年8月13日付(032)に引いた最後の述懐にあるように亡霊に悩まされてきた「蓮華温泉の怪話」とは、なかなか一括りにしづらいように思う(だから私は大きく一纏まりにすれば良いと思っている)。この辺り、丸山氏のリライトを抜いて置こう。99頁2~5行め、

「ひとを殺しておいて、まんまと逃げおおせるなどできないものですね。あの女はいつだ/って私の背中に縋りついてきて離れようとしません。どんなに逃げても振り払っても、背/中に気配を感じるのですよ。今も、この瞬間も、血潮に染まった冷たい手で、私の首を締/め続けています。ああ、こんな思いをするのなら、一刻も早く死刑にしていただきたい」*2


 もう一つ注意したいのは「口伝え、いわば口承文芸的に広まったたため、どの話が起源であるかと探るのは野暮というものだ」との意見で、伝説や怪談は書物や放送によって広まることが、実際には多いにも関わらず、口承文藝について一般にこのようなイメージ(先入主)があるために、先行する書物を引き写したに過ぎない「伝説集」が、実地の民俗調査の成果のように受け止められてしまうのである。――実際に世間に行われている怪談の全てが文字に記録される訳ではないことは勿論だが、記録によりある程度探ることが出来る、と私は思っている。そして「蓮華温泉の怪話」の場合、9月16日付(119)に示した「年表「白馬岳・蓮華温泉」の怪談」に示したように、発生からしばらくの間は、口伝えではなく、ほぼ文字によって拡散されていた*3、との見当なのである。(以下続稿)

*1:堤氏・朝里氏の与えた名称に同意している訳ではないのだが仮に使って見た。

*2:ルビ「すが」。

*3:昭和28年(1953)の新聞(但し元記事未確認)、昭和31年(1956)の山岳雑誌に取り上げられたことを、大きなインパクトを与えたものと位置付けたい。