瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田中貢太郎『新怪談集(実話篇)』(01)

・『日本怪談実話〈全〉』

日本怪談実話〈全〉

日本怪談実話〈全〉

・二〇一七年一〇月二〇日 初版印刷・二〇一七年一〇月三〇日 初版発行・定価1800円・349頁・河出書房新社・四六判並製本
 桃源社版は未見。河出書房新社版の349頁の裏、奥付の前の頁、下部中央に小さく、

*本書は田中貢太郎『日本怪談実話〈全〉』(桃源社、/ 一九七一年八月刊)を底本とする。巻頭の「冕言」は/ 原著『新怪談集(実話篇)』(改造社、一九三八年六月/ 刊)に序文として付されたもの。著者物故につき、表/ 記などはそのママとした。

とある。「原著」は国立国会図書館デジタルコレクションの[国立国会図書館/図書館送信限定]なので、国立国会図書館の端末で1度見たきりである。青木純二関係の調べ物も溜まっているので、早く出掛けたいと思っているのだが、目先のことに追われて‥‥。

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 何度か当ブログでも回想したことのある私の高校の図書館に、ちくま文学の森『恐ろしい話』が入って、一通り読んで見たのだが、やはり私は作り事の怪談には醒めてしまうところがあって、中学・高校の頃に級友や部の後輩などから聞き書きをした学校の怪談でも良く出来た長い話よりも何処で聞いたかも覚えていない断片を聞き出すことの方に喜びを覚えたのである。

恐ろしい話 (ちくま文学の森)

恐ろしい話 (ちくま文学の森)

 だから、私は岡本綺堂「利根の渡」を読んで、全く怖いと思わなかった。この盲人の執拗さ(シツコサ)は日本のものではない、と感じて、引いたのである。岩波文庫『江戸怪談集(中)』で浅井了意『伽婢子』を知るに及んで、凡そ「利根の渡」も翻案の類だろう、と思っていたら、その後『岡本綺堂読物選集』の岡本経一「あとがき」にて、柴田宵曲により紀昀『閲微草堂筆記』が典拠と指摘されていることを知って、さてこそ、と思ったのである。――おすぎが映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の小雪を見て「昭和30年代にこんな人、いません!」と言ったそうだが、私も「江戸時代にこんな人、いません!」と言いたい*1。そしてこれが、私をして岡本綺堂を久しく敬遠させる方向に作用したのであった。
 田中貢太郎「竃の中の顔」も読んだが、どうも、作り事臭さが鼻について、やはり怖いとも何とも思わなかったのである。それならばむしろ、完全に作り事である夢野久作「死後の恋」の語りの面白さに惹かれたのであった。夢野久作田中貢太郎も、その後久しく読まなかったけれども。
 それはともかく、高校の図書館には河出文庫から出ていた『日本の怪談』もあったと思う。 表紙に見覚えがあって、手にしたこともあると思うのだが、内容は全く覚えていない。澁澤龍彦『東西不思議物語』は覚えているのだけれども。――何となく目を通して、借りなかったのだろう。 何年か前から、桃源社版『日本怪談全集 Ⅰ』を何度か借りて読み、田中氏の怪談についても一応確認して置かないといけない、と思っていたところに、河出書房新社版『日本怪談実話〈全〉』が出たのである。
 小説じみた話も少なくないが「実話」を謳っていて、他の怪談集に出ている(と云うか、他の怪談集や雑誌記事などから採ったらしき)話も少なくなく、内容について、色々と確認して置きたいところがあるのだが、切っ掛けがつかめずにそのままにしていた。しかるに昨日記事にした、丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』の典拠の確認をしていて、「三十一 山で撮影した写真 大町市及び木曽郡」を最近どこかで読んだ覚えがあって、巻末の「参考文献・出典・初出・引用」を眺めて本書のことを思い出し、昨日、近所の図書館に寄って借りて、これまでは拾い読みであったが、一通り舞台となった場所について見て行き、丸山氏が利用した4話を拾い出して一覧に追加することが出来たのだった。
 と同時に、丸山氏の再話と比較しつつ、若干の考証を試みたのである。(以下続稿)

*1:だから私は『伽婢子』も余り好きではない。巧く日本に翻案してあるが、やはり日本の話のように思えないので、空言のように感じられてしまうのである。