瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

須川池(2)

高木敏雄『日本傳説集』大正二年八月廿七日印刷・大正二年八月三十日發行・實價金一圓・郷土研究社・三〇七頁
 一〇五~一一九頁「沈鐘傳説第十」一〇五頁2行め~一一四頁4行め「(甲)純粹沈鐘傳説」一一〇頁1行め「(へ)須川池」初版は5字下げ、括弧は左右。
 2011年2月11日付「高木敏雄『日本傳説集』(05)」に取り上げたちくま学芸文庫版では、094~106頁「第十 沈鐘伝説」094頁2行め~102頁3行め「甲 純粋沈鐘伝説」098頁8行め「ヘ 須川」1字下げ。
 本文は一一〇頁2~10行め・ちくま学芸文庫版098頁9行め~099頁1行め、改行位置は初版本を「/」ちくま学芸文庫版を「|」で示した。

 信州上田の南、一里ばかり、小牧山の頂に、周圍二十丁程の須川池がある。昔から唯の|一度も、/此池の水の乾いた事がない。*1
 上田町の東、神川村に國分寺の有つた時分のこと、或曲物*2が此寺の釣鐘を盗出して、小|牧山へ/運んで、須川池の邊に休んでゐると、其鐘が俄かに、
  國分寺戀しや、ボヾンボーン、
と呻つて、池の中へ轉がり込んだ。轉がりこむと直に、其鐘が蛇身に變じた。其蛇が此池|に棲ん/でゐるから、水が乾かぬのである。偶に此池に墜込む者があつても、蛇が助けて呉|れるから、溺/れることはない。其鐘は蛇ではなく、大鯉に化つてゐる、と云ふ者もある。|四五尺に餘る鯉のゐ/ることだけは、眞實らしいやうだ。信濃國小縣郡城下村竹内正吉君)


 報告者の竹内氏の名は、一九四~二一七頁「縁起傳説第十八」一九四頁2行め~二〇五頁7行め「(甲)宗教的縁起傳説」二〇二頁9行め~二〇四頁1行め「(リ)布引山」及び二〇七頁5行め~二一一頁「(丙)湧泉傳説」二〇九頁12行め~二一〇頁6行め「(ニ)鹿教湯」の末尾にも(信州上田在御所竹内正吉君)と見えている。すなわち長野縣小縣郡城下村大字御所の人であるが、長野県や上田市の図書館OPACで検索しても著書等はヒットしない。なお、旧城下村の上田市大字諏訪形の南東端、字須川須川湖(須川池)があり、諏訪形の北西端に台風19号のため今朝落ちた上田電鉄別所線の、大正13年(1924)8月に完成した千曲川鉄橋がある。
 神川村は城下村の東、千曲川右岸にあった村で昭和31年(1956)9月に上田市編入された。国分寺小牧山(771.1m)の対岸にある。
 さて、この話に拠ると須川池(須川湖)の主は国分寺の鐘が変じた蛇、もしくは大鯉である。だとすると、10月5日付「田中貢太郎『新怪談集(実話篇)』(04)」に取り上げた、上田城の濠を脱して須川池(須川湖)に移った赤い牛は、①しばらく留まって余所に移ったか、②須川池の新たな主になった、或いは③蛇もしくは大鯉と同居、と云うことになりそうである。(以下続稿)

*1:ちくま学芸文庫版は半角読点ではなく全角。

*2:ちくま学芸文庫は「曲者」。