瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(134)

・青木純二の経歴(3)阿部敏夫の調査①
 昨日の続きで、遠田氏の「いたずら者の青木記者」の節に「一つしかな」いとする、青木純二の経歴に触れた先行研究は、注(16)を見るに、240頁15~16行め、

(16)阿部敏夫「和人のアイヌ文化理解について――事例その1 青木純二『アイヌ伝説』」『環オホーツク/ ――環オホーツク海文化のつどい報告書』No.1(一九九四年)六三―七三頁。

である。この「環オホーツク――環オホーツク海文化のつどい報告書」No.1 を見ようと思いながらまだ果たしていない。
 阿部敏夫(1941生)は北星学園大学文学部を退職する際に論文集を纏めている。これを見れば内容が分かるのではないかと考え、これも都内には余り所蔵されていないのだが、9月上旬に閲覧しに行った。
・阿部敏夫『北海道民間説話〈生成〉の研究 伝承・探訪・記録2012(平成24)年3月14日 初版発行・定価6,000円・共同文化社・501頁・A5判上製本

北海道民間説話<生成>の研究 (伝承・採訪・記録)

北海道民間説話<生成>の研究 (伝承・採訪・記録)

 何故か Amazon 詳細ページでは発行日が昨年末になっているが、7年半前の刊行である。
 109~155頁「第二章 和人創作の「アイヌ民間説話」」、109頁(頁付なし)扉、110~111頁13行め「はじめに」、111頁14行め~131頁「第一節 アイヌ伝説「紅スズラン」の事例」として8つの事例を引用しているが、112頁1行め、注は行末の右に添えて、

【事例1】青木純二 一九二四(大正十三)年『アイヌの傳説と其情話』[富貴堂書房]注3

として「不思議な人」を引用(~115頁)、次いで116頁1行め、

【事例2】青木純二 一九二四(大正十三)年『アイヌの傳説と其情話』[富貴堂書房]注4

として「血に咲く鈴蘭」を引用(~117頁4行め)する。
 153~155頁「*第二章《注》」を見るに、153頁6~7行めに、

注3 青木純二『アイヌの伝説と其情話』[富貴堂書房 一九二四年]一一~一五頁。
注4 注2と同じ 一〇二~一〇三頁

とあるが「注2」はもちろん「注3」が正しい。この章の題、そして【事例1】及び【事例2】と、最も早い例として挙げていることからも察せられるように、阿部氏は「紅スズラン」伝説を青木氏の「創作」と見ている訳である。
 しかし、ここに青木氏及び『アイヌの伝説と其情話』の説明はない。138~149頁「第三節 分析」に、141頁1行め「 ⑸ 青木純二『アイヌの傳説と其情話』について」として、書物の説明はしている。冒頭、2~4行めを抜いて置こう。

 青木純二注16により編集された本書は全部で八七話が掲載されている。このうち出典が明らかなのは三/話だけである。「悲しき蘆笛」(『山の伝説と情話』)、「夜行の珠」(『海の伝説と情話』)、「旭岳の墓標」(『山の伝説と情話』)である。他の話には出典はない。


 以下、地域ごとの話数や、青木氏の提示する「アイヌの伝説」なるものの特徴、特に「紅スズラン」伝説について述べているが、私の目下の関心はアイヌ伝説創作の方にはないのでそれは割愛する。
 青木氏の説明は本文にはない。そこで青木氏に附された注について「*第二章《注》」を見るに、154頁8行めに、

注16 青木純二については一九九三年度北海道紋別市『環オホーツク海文化の集い』報告書の拙稿を参照。/‥‥*1

とあって、「環オホーツク――環オホーツク海文化のつどい報告書」を見るように指示するのである。しかしながら、これは閲覧場所の限られる出版物であり、かつ青木氏については、昨日取り上げた遠田氏の本が本書の前年に出ていた訳だけれども、別にそれに気付いて割愛した訳でもなさそうで、一般に知られているとは言い難く、また伝記調査も少々面倒なこの人物については、やはりこの機会を逃さずに、この注にて長めの説明を加えて置くべきだったと思うのである。
 そんな訳で、青木純二に関する調査結果を未だ阿部氏の論文にて確認出来ていない。他の調べもしたから都立図書館に出向いたのは無駄足ではなかったが、その後「環オホーツク」を所蔵する国立国会図書館に行く機会を得られぬままである。しかし、それでもどうしても見に行こうと云う気になれなかったのには一応理由があって、阿部氏による青木純二の経歴調査は(既に触れたように)別の形で知ることが出来るのである。それでうっかり、初出の確認をおろそかにしてしまったのであった。(以下続稿)

*1:後半9行めには「中田千畝については『北星論集[文]』第40号(二〇〇三年)の拙稿を参照」とあるが、本文の位置も離れており、別の注番号を与えるべきだったと思う。