瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介旧居跡(11)

・Lyle Hiroshi Saxon の1990年8月7日(2)
 昨日の続き。
 もっと音声に注目すべきかとも思ったのだが、途中で Saxon 氏が語っている内容も listening が入試になかった世代の私には(世代は関係ないか)十分に聞き取れないし、更に膨大な作業量になってしまうので割愛(?)する。
 谷謙二(埼玉大学教育学部人文地理学研究室)の「時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」」や Googleストリートビューや航空写真の 3D 表示などを参照しながら Saxon 氏の足跡を辿っているのだけれども、全く変わっていない場所もあるものの、約30年を経過しての変化はやはり甚だしく、Saxon 氏が注目したおんぼろアパートは恐らく全て現存していないし、指標になりそうな高層建築も建て替えられてしまったのか、まるで見当が付かなかったりする。
 こうなったら田端文士村記念館と北区教育委員会に、芥川龍之介記念館開館準備企画か開館記念企画の第何弾めかとして「Lyle Hiroshi Saxon と歩く田端と芥川龍之介旧居跡」でも企画してもらって、地元住民に協力してもらって現在位置と対照し、実際に辿って変化を実感するような、そんなことが出来たらなあと思うのである。私は集団でぞろぞろ歩くのが大の苦手なのだが、この企画が実現するなら是非とも参加したいと思っている。区民ではないので発案者枠(?)で特別にお声掛け下さい(笑)。
 00:27:40頃、フラワーマンション(東京都北区田端1丁目19-22)の脇の階段の手前で立ち止まり、フラワーマンションの南側の路地に入る。現在の地図を見る限り、通り抜けられないようなのだが、当時は通り抜けられたらしく、00:28:09、都道458号線の田端切通しの南端、00:22:10頃に写った辺りよりもさらに童橋寄りに出ている。しかし、11月10日付(09)に述べたように、移動中ずっとカメラを回し続けている訳ではないので、どこをどう抜けたのか、この往路(!)だけでは分かりにくい。KEY COFFEE のマークの喫茶店や、ファミリーレストランの Denny's の看板が見えるのだがこれらは現存しないようだ。少し南に下って、そこからまた東側、狭い階段を上り、路地の奥の DSK BUILDING(田端1丁目19-11)に向かう。この DSK BUILDING は現存していて、入口の階段は幅広くなり、壁面は明るい橙色に塗り直されている。1階の写真スタジオ入口を撮してから右へ、南へ狭い階段を下り、ビルの南側を東へ、さらに左に折れてビルの南側を半周すると、小柴垣のある家の前の路地に出る。そのまま東進すると再度フラワーマンションの南側を通って、00:29:52~54、伸縮門扉(両開き)を抜けてフラワーマンション脇の階段下に出るのである。すなわち、往路もこの復路と同じ経路で都道458号線に出たのである。ちなみにこの路地を戻るとき、先方に見えている住宅は、11月7日付(07)に取り上げた文藝別冊「芥川龍之介184~185頁「田端散策マップ」と対照するに、大衆文芸作家・池上信一(1911.4.16~1970.3.4)邸らしい*1
 DSK BUILDING の1階にある写真スタジオは、写真家ダン和田(1930生)の写真館「アトリエ段」で、TV東京「モヤモヤさまぁ~ず2」に何度か登場している。
・2007年9月14日放送回

モヤモヤさまぁ~ず2 DVD-BOX(VOL.4、VOL.5)

モヤモヤさまぁ~ず2 DVD-BOX(VOL.4、VOL.5)

・2010年8月1日放送回 2007年の外壁の色は分からないが、2010年には橙色に塗り直されている。2007年も2010年もアトリエ段までの階段・通路は狭い。その後、通路北側の段マンションがなくなって駐車スペースや階段(北半分)、個人住宅に変わったのである。
 それはともかく、入口に伸縮門扉もある路地に入って*2、誰にも会わなかったから良いようなものの、屋上と云いアパートの下駄箱を覗くことと云い、見ていて少しヒヤヒヤする。(以下続稿)

*1:田端1丁目18、現存しない。

*2:上記の企画が実現するとしたらこの辺りは、「ブラタモリ」みたいに「特別な許可を得て立ち入っています」と云うことになろう。