瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介旧居跡(18)

 一昨日からの、浪人から修士論文を提出する頃まで、8年余り住んだ、都内の築60年の住宅について、続き。
 昨日は題を変えるべきかと思ったのだが、そのままで良いような気がして来たので変えずに置く。芥川龍之介旧居跡の現状に触発されて私が暮らした家のことを思い出しているので、今回も芥川龍之介旧居跡の話にはならないことだけ、まづ初めにお断りして置こう。
・都内の旧居追懐(3)
 風呂場の東に台所があり、その南側が6畳の居間だった。居間と玄関から北へ通じる廊下の間には、階段と押入れがあって、押入れの半分くらいは斜めに階段のために占められていた。階段を上って右に両親の雨漏りする寝室、左に私の勉強部屋と寝室、そこから南に短い手摺のある廊下を通って、父の書斎だった。
 居間と台所の間には作り付けの飾り棚があって、腰の高さくらいのところが空洞になっていて、食器受け渡しが出来るようになっていたが、そんなことはしなかった。居間には南西隅に兄が使っていた3段の小さな簞笥があって、昭和50年代以来使っている小型テレビを載せていた。居間の中央には炬燵があって、そこで普段は食事をしていた。座布団に座る生活である。居間の南は玄関のやや南から、東に延びる廊下があって、その前面はアルミサッシで非常に明るかった。建物の南側では、この廊下が一番引っ込んでいた。廊下の突き当たりは4畳の、サンルームのような部屋で、母が嫁入り前から使っている足踏みミシンがあった。このサンルームの南西角の軒下に、背黄青鸚哥の鳥籠を2つ、吊り下げていた。台風や雪のときなどは、サンルームの段ボールに入れたが、屋内だと借りて来た猫のように静かにしているので、大抵は外に吊ったままだった。ただ、鳥は朝が早いから、明るくなっても入れたままにしていると身体がうずうずしてくるのか、ちょこちょこ動き始めて、たまに啼いたりする*1。手乗りではなく人間を仲間だと思っていないので、雀の声がするとうちの鳥たちも声を揃えて元気に呼び掛ける。雀は零れた餌をついばみに来るのだけれども、鸚哥が喜ぶので、私も古くなった餌を庭に蒔いて、我が愛する鳥たちのお客様として鄭重にお迎えしているような按配だった。初めの頃には父方の祖父が飛んできたのを捕まえた薄雪鳩を、東京に出て来た直後に祖父が死んだので鳥を飼っているのは一族でうちだけだと云うのでもらってきて、一緒に並べて吊っていた。しかし鸚哥の愛嬌に慣れてしまったせいか、薄雪鳩の鈍重な感じはどうしても好きになれなかった。薄雪鳩は確か祖父が雄を捕まえて、雌を買ってきて番いにしていたのを籠ごともらったのだが、産卵はするのだけれども、孵さずにそのまま糞まみれにしてしまう。今だったらインターネットで色々調べるところであろうが、当時はそんな知恵を付けてくれるところがなかったので、恐らく孵化しないであろうと思われる時機を捉えて、巣から取って捨ててしまった。背黄青鸚哥の知識だけれども、卵を間違って割って食べてしまうことがあるそうで、そうすると以後孵さずに食べるようになると聞いていたから、薄雪鳩の卵もそうならないうちに取り除いたのである。籠には「薄雪鳩 クックちゃん」と云う祖父が書いた紙が貼付してあった。雌は殆ど啼かないので雄が「クック」で、雌は結局名前を付けずに(雄もクックちゃんとは呼ばずに、結局「薄雪鳩の雄」か、2羽纏めて「薄雪鳩」と呼んでいた)しまった。
 サンルームの北、居間の東は8畳間で母が裁縫などするのに使っていた。北に押し入れ、東に床の間と違い棚があって、床の間には母方の祖母の書が掛けてあった。日が差し込まないので昼でも暗かった。院生になってからと思うが、夏、流石に西向きの寝室では余りに暑いので、私はこの8畳で寝ていた。クーラーなどなかったが、この部屋は熱が籠もらなかった。8畳間の北には4畳半の女中部屋があった。もちろん女中は雇っていない。女中部屋は東側に磨り硝子の窓があって、すぐ東に隣のアパートの部屋が迫っていたから日は差さなかったが、8畳間よりも明るかった。女中部屋の西は納戸で勝手口があり、その西が台所である。サンルームの東、床の間の南は上下左右とも狭い倉庫になっていて、南側に戸があってスコップなどを仕舞っていた。
 私が1階で寝泊まりするようになったのは、暑さだけが理由ではなくて、いつだったか、冬だったと思うのだけれども、一番遅く風呂に入って、しばらく深夜番組などを見て火照りを冷ましてから、寝ようと思ってその前に、台所で口を広げて水を張っておいた牛乳パックに気付いて、庭木に撒いてやろうと居間の南の廊下に出て、アルミサッシを開けて水を撒こうとした時、庭の枯葉を踏んでこちらに近付いて来る音に気付いたのである。水は撒いたかどうか、とにかく向うもカーテンが開いて若い男が出て来たのに驚いたらしく、そのままサンルームの前を東へ、倉庫から北へ回り込んでそのままどこかへ行ってしまった。私は1階の電気を全て付けて、女中部屋の外まで見回って見たけれども、もうどこに行ったか分からない。いや、いたらその方が怖かったけれども。
 そんなことがあって以来、クーラーのない家で、締め切ると熱が籠もるので夏は夜も窓を開けて置きたい、けれども無人では不用心だと云うので私を寝かせて置いたのである。幸い、それでも構わず押し入ろうと云う賊には遭わずに済んだ。以来私は、――どうしても押し入って、殺してでも何かを奪いたい、みたいな輩に出会したら、もうどうしようもない。そんな奴は多少戸締まりをして置いたところで入って来るであろう。だから、そんなことにはまづならない、と思って暮らすのが一番だ、と思うようになったのである。(以下続稿)

*1:昼と午後は静かである。外に吊っていても、昼になると朝元気にしていた疲れが出るのか、昼寝している。夕方は寝る前に腹を満たして置くためにせっせと餌をついばんでいる。勿論、雀の鳴き声がすると耳をそばだてて元気に呼び交わすのだけれども。