瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森川直司『裏町の唄』(5)

 本書の成立について、本書「まえがき」には次のように説明されている。2頁9行め~3頁5行め、

・・・・、小学校時代の友人や深川に住んでいたことのある知人たちとの昔語りの中から/も、戦前の深川が意外に早く消え去りつつあるのを強く感じさせられたので、昨年三月の/父たちの三十三回忌を期して深川の思い出の記を縁ある者に配ることを思い立ったが、執/筆半ばにして時間切れとなり果たさなかった。
 ところが、今年に入ってこの書きかけの原稿を見た浅草生まれの友人、川上勝正君にせ/きたてられてようやく残り半分を書き上げ、予定より一年おくれてなんとか一冊の本にま/とめることができた。【2】
 ここに書かれていることのほとんどは、町内に紀伊国屋文左ヱ門の墓があることも、隣/町で滝沢馬琴が生まれたことも知らずに、松尾芭蕉ゆかりの深川のあちこちを遊び歩いた/私の小学生時代の見聞である。
 それに、深川といっても、おもに私の住んでいた裏町のささやかな哀歓を綴ったもので/あるから、戦前の深川の、ほんの一面をわずかに記したに過ぎない。


 すなわち、当初三十三回忌の《マンジュウ本》として構想されていたもので、その「昨年三月」とは昭和52年(1977)3月、2頁1行めにあるように「昭和二十年三月の東京大空襲で」森川氏は父と「四人の」弟妹を失っているのである。
 さて、この辺りの庶民の哀歓を綴った類書としては当ブログでも2016年11月25日付「田辺貞之助『江東昔ばなし』(1)」以来取り上げて来た、田辺貞之助(1905.1.30~1984.9.7)の『うろか船』『女木川界隈』『江東昔ばなし』がある。田辺氏は当時まだ農村であった東京府南葛飾郡砂村の出身で、砂村は大正10年(1921)7月に町制施行して南葛飾郡砂町、昭和7年(1932)10月に東京市編入されて東京市城東區北砂町、昭和22年(1947)3月に東京都深川区と合併して東京都江東区となっている。一方、森川氏の住んだ深川は、明治以来の「旧東京市十五区」で、同じ現在の東京都江東区でも、旧農村で森川直司(1927.3.10生)の1世代上、明治末からの昭和19年(1944)3月の疎開までの田辺氏の見聞は、貧しかったけれども素朴で暖かい人々、なんて生易しいものではなく、様々な点でかなりグロテスクである。対して「小学生時代の見聞」を主とした森川氏の回想は、12月25日付(2)に見たように昭和20年(1945)3月の東京大空襲、満18歳までで、人間のグロテスクな一面に直面させられる時期が、社会の底辺にいた怪しげな人々が一掃されてしまった戦時下に当たっていたためであろう、どぎつく生々しい感じは薄い。かつ、当人が認めているようにその取材範囲も年齢相応に狭い。しかしそれでも、やはり田辺氏の回想に見られるような人間の業、厚かましさ、厭らしさが透けて見えるのである。
 川上勝正については、ネット検索では手懸りを得られなかった。すずらん書房は昭和49年(1974)から昭和59年(1984)まで、主として「すずらんブックス(Suzuran Books)」と云うシリーズを刊行していた版元で、その後、平成4年(1992)に1冊刊行したのみである。奥付に拠ると所在地は「東 京 都 文 京 区 白山2-30-3/〒112 イトウビル」であるが、現在、同地にイトウビルが存在していない。本書はすずらんブックスではないようだ。

やさしい商品先物取引100問100答 (1977年) (すずらんブックス)

やさしい商品先物取引100問100答 (1977年) (すずらんブックス)

 すずらん書房と森川氏の縁だが、昭和52年(1977)12月にすずらんブックスの1冊として『やさしい商品先物取引100問100答』を刊行している。その辺りから持ち込みで刊行出来たのであったろうか。(以下続稿)