瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森川直司『裏町の唄』(19)

・「投稿 風便り」(12)
 当初、本書と『昭和下町人情風景』を比較し、20歳くらいまでの森川氏の経歴と確認した上で、赤マント流言を初めとする幾つかの項を取り上げて検討するつもりだったのだが、これらの本と相補う内容のネット投稿を見付けてしまったことで、当初予定していた作業が後回しになってしまった。しかしやはり一通り見て置かないことには先へ進めない。著書にない内容を補うことが出来たのは収穫であった。しかしそれが今後の検討に活かされるかどうかは、分からない。
op.67 椰子の実 森川秀安さん(小諸市)H26/02/25
 3年振りの投稿で、平成26年(2014)2月下旬、満87歳になる2週間前である。冒頭、

 私は出生地の大阪市郊外で四年ほど過ごしたあと、一家が上京してから七十七年という長い年月を東京で暮らしていた。私は小諸に居を移して六年目になるが当地に地縁血縁があったわけではなく、・・・・

と、これまでの転居歴を大まかに纏めている。
 そして小諸での暮らしについて述べ、また小学生時代のことを回想する。

 転居して来る前の小諸についての知識と言えばやはり島崎藤村の詩であるが、私の記憶では、小学校三年生の時の学芸会で歌った「椰子の実」が藤村との出会いの始まりである。学芸会は毎年三月のある日、講堂(雨天体操場)の舞台で劇や独唱、斉唱、遊戯などが行われたが、観客は全校生徒と父兄で、出演する生徒は先生たちがあらかじめ選んだ者だけだったが、当時は私の小学校に限らずそれが当たり前のようだった。小学校で合唱を習った記憶はなく常に斉唱だったが、出演の生徒に印刷物は配られず音楽室の黒板に先生が書いた「椰子の実」の詩の全文を見ながら、先生の歌唱やピアノに合わせて生徒がなぞって覚えるという遣り方だった。詩の終りに近い「思いやる八重の汐々」の汐という字は小学校では習わなかった字だから、黒板に書かれた詩のこの部分は印象が強かった。ところで私の三年生の学芸会は昭和十一年三月で、「椰子の実」を練習する前にこのメロデーを聞いた記憶は全くなかった。大中寅二作曲の「椰子の実」が国民歌謡としてNHKラジオで放送されたのは昭和十一年八月だが、私自身は今でも「椰子の実」を歌ったのは三年生の時と思い込んでいるのだが四年生の時、つまり昭和十二年三月だったのかも知れない。


 Wikipedia に拠ると「椰子の実」が放送されたのは昭和11年(1936)7月13日かららしい。JOBK大阪放送局から全国放送された「國民歌謠」と云う番組が昭和11年6月1日に始まっており、その委嘱で大中寅二(1896.6.29~1982.4.19)が島崎藤村の詩に曲を付けたのは7月9日、だからやはり小学4年生以降でないとおかしいのだが、ここでは森川氏が歴史的事実と対照して「三年生の時」と云う記憶が「思い込」みであったことをそのまま書いていることに注意したい。――ここには「小学三年生の時」のことと「思い込」んだ理由が示されていないから、何の記憶と絡まってそう思ったのか分からないが、安易に正しい時期に合わせて記憶を修正してしまうのも、今度は別の記憶との整合性が崩れる原因にもなるので、取り敢えず記憶はそのまま書いて、その上でネットや文献で調べた歴史的事実と付き合わせるのが最善の方法だと思う。記憶だけでは危ないし、かと云って記憶を歴史的事実によって修正したものだけ示すのも、自分の中で長い歳月の間に熟成(?)された記憶とは違うものになっているわけで、私はそれもやはり危ないように思うのである。
 「国民歌謡」については本書【42】「プ ー ル」に回想されており、そこでは180頁4~5行め「‥‥。「椰子の実」は三年生のとき学芸会で/歌わせられた。」とあった。これが『昭和下町人情風景』Ⅱ 下 町【21】「プール」に再録された際に119頁2~3行め「‥‥。『椰子の実』は三年生の終わりの学芸会で/歌わせられた。*1」と時期が明確にされていた。この項はそれをさらに詳しく書いて見て、さらに「椰子の実」の来歴を調べて記憶違いに気付いたと云う按配なのである。
 それはともかく、そこから記憶を手繰って、「中学四年生頃に買った本で題名は忘れてしまったが竹中郁という人が編集した明治大正期の日本の代表的詩人の代表的な詩を載せた中学生向きの本に」載っていた「藤村の「千曲川旅情の歌」の一「小諸なる古城のほとり」」、大木篤夫(惇夫。1895.4.18~1977.7.19)の「題名は忘れたが・・・・短いが印象に残った詩」、そして「当時の私がこの本にある詩の中で最も印象に残ったのは「安乗の稚児」だったが、肝心の作者名が全く記憶に残っておらず」数年前、伊勢志摩への小旅行の際に「安乗埼に行けばきっと詩碑があるだろうと思」った通り、「安乗の稚児」の詩碑があり、「長年知りたかった」作者名を知る。
 そして最後、

記憶に残る三人の詩人の詩を挙げたが、たまたま海に関わるものばかりだ。近頃『風便り』にすっかりご無沙汰してしまったが、老人病で帰山の機会も減っているので、せめて寄稿だけは復活させて頂こうと一念発起したところで、次回以降しばらく海についての随想を投稿したいと願っている。お読み頂いて『風便り』にご感想をお寄せくだされば幸いである。

と断って、以後3回にわたって「海の記憶」を寄稿している。(以下続稿)

*1:ルビ「やし」。