瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田口道子『東京青山1940』(4)

・細目(3)
 一昨日からの続き。要領は一昨日述べた通り。
第三章 国ごと破滅までのエネルギー
 【1】防空演習のはしりの頃 148(1)
 【2】みんなが感じていた防空演習と実戦のちがい 150(6)
 【3】子どもだけ真面目だった? 興亜奉公日 152(4)
 153頁写真、上「ごはんち梅干しだけの日の丸べんとう。著者8歳当時の赤いアルマイトのべ/んとう箱で再現」下は本文。
 【4】大規模防空演習は運動場で 154(10~155・11)
 【5】耐乏生活のはじまり 156(1)
 【6】木炭車でホッカホカ焼き芋クッキング 157(6)
 159頁写真、上「昭和13年頃の木炭バス。このタイプは15年頃まで使われた」下は本文。
 【7】クラスメー卜からの「インフレ」海外情報 160(11)
 【8】エスカレートしてきた「お国のために」 162(3~164・14)
 163頁写真、上「なじめなかった「愛国百人一首」。昭和17年」下「戦前の正月は振袖でかるたとりを。クラスメートの宇/和川姉妹」
 【9】女の子も胸躍らせた少年冒険小説 165(1)
 【10】ついに氷イチゴのシロップまでなくなって 166(8)
 167頁図版、上「©田河水泡のらくろの探検隊長』(左)/©島田啓三冒険ダン吉』(右)の表紙」下「©坂本牙城『タンク・タンクロー』(左)、/©吉本三平『コグマノコロスケ』(右)の表紙。/いずれも講談社発行、定価一円。写真は昭和11~15年に/発行されたものの復刻版として昭和44年に発行されたもの」
 169頁図版、上「オマケつきグリコ」右「オマケの小箱が上についていた昭和15年当/時のグリコの赤い箱。昭和10~15年にかけ/てはそれまで既製品の豆玩具だったオマケ/がグリコのオリジナル豆玩具になった」左「オマケの素材はアンチモニー、セルロイド、木竹加工品など/で変化があり楽しかったが、昭和16年戦争勃発以降は材料不/足で紙や粘土が中心となった。同17年戦争激化のためオマケ/つきグリコは生産中止に」下左「森永ミルクキャラメル/ほとんど変っていない森永ミルク/キャラメルの黄色い箱。写真の箱は/昭和7~14年頃までの森永ミルクキ/ャラメルの箱。小さい箱もあった」下右「ハーシーのキスチョコ/板チョコと並んでハーシー社の代表的商品の/キスチョコは1907年に誕生(上)。以来ほぼ一/世紀にわたって品質、ユニークなデザインと/もに変っていない超ロングセラーアイテム。/昭和15年当時もいまもまったく変らない生乳/のチョコの味。写真下は、1940年頃米軍の野/戦食として作られたパッケージ」
 【11】ついに開戦した日から 170(2)
 171頁写真、上「大東亜戦争開戦を告げる昭和16年12月8日の新聞」下「女の子も凛々しかった戦時下の教室」
 【12】戦勝気分はほぼ半年 172(9)
 【13】南方戦線からの撤退と玉砕 173(13)
 【14】連合艦隊司令長官戦死のショック 174(10)
 175頁図版、上「山本五十六連合艦隊司令長官の戦士を伝える新聞」下「今なお多くのファンがいる「男の修行」」
 【15】戦死を悼む作文のNHKラジオ放送 176(5)
 【16】まさかこんな子どもが…… 177(10)
 【17】少年が戦うまでになった異常な日常 179(11)
 【18】家族写真を撮った父の心境 180(12)
 【19】集団疎開の妹と初めての面会日 183(13)
 【20】歯磨きをオイシイマズイできめる癖 185(6)
 【21】敗北また敗北の南方戦線 186(7~13)
 【22】飛行機生産工場は女子学生ばかりで 187(1)
 189頁写真、上「昭和19年「女子挺身勤労令」によって女性も旋盤工として働いた」下「兵隊さんと同じ三八式歩兵銃を担ぐ東京家政高等女学校の女学生。昭和18年5月」
 【23】硝子工芸の動物たちは戦前の優雅の名残 190(9)
 【24】それでも配給玄米を白米に自力で精米 192(5~193・13)
 193頁写真、上「精米機の電力節約のため、玄米に近い七、八分搗きの米が/配給されるので各家で精米した。一升瓶に入れた米をはた/きの柄などで突きつづけると糠が落ちた。(写真は再現)」下は本文。
 【25】本土初空襲からはやくも二年後に*1 194(1)
 【26】頭上すれすれの爆撃機の恐怖 195(8~197・15)
 【27】米空軍の「無差別爆擎作戦」下の東京無残 198(1)
 【28】どんなときでも惰報把握に男は動く 199(6~14)
 【29】敵さんのチョコを食べた少年 200(1)
 【30】賑わう東郷神社境内に感無量 203(4~13)
 【31】おやつはお一人様一個限りを買いに走り 204(1~15)
 【32】地元外の銭湯でクラスメー卜に裸でバッタリ 205(1~15)
 【33】大忙しだった家が消える日までのまいにち 206(1~207・14)
 【34】「もう日本もおしまいだぁ」 208(1)
 【35】汐留駅は灰色の荷物の海 209(8)
 【36】一瞬で崩壞した安定と家族団欒のすベて 210(6~212・10)
 211頁写真「道路は連日家財道具の疎開荷物を運ぶ大八車(広報白シャツ男性)やリヤカー(手前二人、/後方自転車)、荷馬車(馬)で溢れた。トラックもガソリンも庶民には調達できないほど逼/迫していた。昭和19年10月」(以下続稿)

*1:「目次」には「本土空襲から‥‥」