瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(149)

・青木純二の経歴(17)「青葉茂」での執筆活動
 青木氏が横浜時代に「青葉茂」の筆名を使っていたことは、2019年10月28日付(142)に引いた『横浜の本と文化』の「戦後の新聞事情」の節に見えていた。唱歌「櫻井の訣別」の歌い出し「青葉茂れる桜井の」から「皇室中心主義」者の青木氏が思い付いた筆名であろう。
 青木氏はこの筆名を戦前から使っていたらしい。但し、他にも思い付く人が何人もいたらしく、日本労務研究会 編「労働基準」23巻1号(昭和46年1月・日本労務研究会・40頁)10~14頁に「労働時間短縮――その現状と動向」、23巻7号(昭和46年7月・日本労務研究会・40頁)5~8頁に「週休2日制の動向――現状と将来予測」を寄稿している「青葉茂」は(或いは本名かも知れないが)その内容、及び青木氏の執筆活動が昭和31年(1956)に途切れて14年が経過していることからも別人であると考えられる。
 それから、青木氏が著述活動をしていた時期と重なるものとして、日本YMCA同盟機関誌「開拓者」(日本基督教青年会同盟)に昭和6年(1931)7月から昭和7年(1932)6月までの1年間だけ寄稿している「青葉茂」がいる。
・「メソヂスト運動の發生過程に就いて」26巻7号(昭和6年7月) 38~41頁
・「新刊紹介」26巻10号(昭和6年10月) 44~47頁
・「創作「新しきものと古きもの」」26巻12号(昭和6年12月)34~41頁
・「創作大地に息づく」27巻1号(昭和7年1月)43~46頁
・「創作『兄弟』」27巻5号(昭和7年5月)64~68頁
・「斷想片々」27巻6号(昭和7年6月)19頁
 「新刊紹介」まで担当しているところからして、編集サイドの人間らしい。メソジスト運動についての論考まで書いているところからすると、キリスト教徒か、キリスト教に深い関心を有している人物と思われるが、今のところ青木氏とキリスト教との関わりは確認出来ていない。
 従って、国立国会図書館サーチにてヒットする「青葉茂」で、確実に青木純二の筆名と判断されるのは、以下の4点である。
・「アイヌ女の情炎」週刊朝日編輯局 編『スピード結婚魔 本当にあった事(週刊朝日文庫 第八輯)』(昭和10年朝日新聞社)19~頁
・「世界各国富籤物語」「実業の日本」43巻10号・通号1020号(昭和15年5月・実業之日本社)102~105頁
・「徳川時代の奢侈禁令」「実業の日本」43巻16号・通号1026号(昭和15年8月・実業之日本社)85~89頁
・エローページ「汽車の記號ローマンス」「実業の日本」43巻18号(昭和15年9月・実業之日本社)76~77頁
 書誌書目シリーズ(78)『戦前期『週刊朝日』総目次』では次の1点のみ。
・「アイヌ女の情炎」一九三四(昭和九)年二月四日号(第二十五巻七号)38頁
 『スピード結婚魔』収録のものの初出であろう。昨日見た「青木純二」名での寄稿と時期が重なっている。
 ここで注意されるのは『下巻』巻末「執筆者索引」491(2)頁右列24行め「青葉茂」の前、21~23行めに、

青葉しげる………24-3、24-14、24-24、/  26-1、26-20、28-18、29-8、30-2、/  30-7、31-23、36-22、37-7

とあることである。そしてこの「しげる」の方も、青木純二の筆名に違いないと思われるのである。(以下続稿)