瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(150)

・青木純二の経歴(18)週刊朝日」の青葉しげる
 青木氏が「青葉茂」の筆名を用いていたことは、昨日述べたように『横浜の本と文化』により判明していたが、この筆名での「週刊朝日」への執筆は1点しかない。しかし「青葉しげる」では、昨日引いた書誌書目シリーズ(78)『戦前期『週刊朝日』総目次』の「戦前期『週刊朝日』総目次 執筆者索引」にて、12点の執筆があったことが判明する。
・私の街のヒロイン「横浜」一九三三(昭和八)年七月十六日号(第二十四巻三号)16頁
・「ハマの不良行状記」一九三三(昭和八)年九月二十四日号(第二十四巻十四号)31頁
・「天才・タダ乗少年」一九三三(昭和八)年十一月二十六日号(第二十四巻二十四号)33頁
・「紙幣抜きの不良外人」一九三四(昭和九)年七月一日号(第二十六巻一号)34頁
・「ハマの闌童事件」一九三四(昭和九)年十月二十八日号(第二十六巻二十号)32頁
・「東西離婚ナンセンス」一九三五(昭和十)年十月二十日号(第二十八巻十八号)32頁
・「貞操は叫ぶSOS」一九三六(昭和十一)年二月九日号(第二十九巻八号)32頁
・世相は描く「女賊 “天神お澄” 」一九三六(昭和十一)年七月十二日号(第三十巻二号)17頁
・「日本アルプス奇談集」一九三六(昭和十一)年八月九日号(第三十巻七号)8頁
・「王冠のダイヤの由来」一九三七(昭和十二)年五月九日号(第三十一巻二十三号)11頁
・「避難第一船「靖国丸」にきく」一九三九(昭和十四)年十一月五日号(第三十六巻二十二号)36頁
・「白瀬老中尉に探検の憶ひ出を聴く」一九四〇(昭和十五)年二月十一日号(第三十七巻七号)24頁
 「青葉茂」より前から、横浜を舞台とする実録読物の執筆にこの筆名を用いていたらしい。靖国丸は第二次世界大戦勃発時にドイツから日本の民間人や外交関係者等を日本に帰国させた避難船で、昭和14年(1939)10月18日に横浜に戻っている。従ってこれも横浜関連の仕事と云うことになる。
 「白瀬老中尉」は白瀬矗(1861.六.十三~1946.9.4)で当時数えで八十歳。差当りこのインタビュー記事が次の本に利用されているかどうか、確認して見ようと思っている。

日本南極探検隊長 白瀬矗 (極地研ライブラリー)

日本南極探検隊長 白瀬矗 (極地研ライブラリー)

 もちろん、最も注目すべきは「日本アルプス奇談集」で、『山の傳説 日本アルプスの使い回しなのか、それとも新たに書き下ろしたものなのか、大いに気になるところである。(以下続稿)