瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田口道子『東京青山1940』(14)

・著者の家族と住所(3)
 田口氏は疎開先を「北陸の町」とするばかりで何処なのか明記していないが、かなり具体的な記述があって福井県今立郡鯖江町(現・鯖江市)と察せられる。
 224頁10行め「三月末」、東京を離れる際、218頁1行め「東京駅でホームに並んで列車を待」ち、2行め「東海道線の座席に座れてほっとした」とあるから、疎開先の候補としてまづ新潟県が排除される。223頁12行め「北陸本線に乗り換えるため、私たち家族は「米原」駅で下車しなければならなかった。‥‥」そして224頁5~6行め「どうにか乗り換えた汽車の座席に座ったものの、目的の町の駅に到着する頃は通路/までぎっしりの人で超満員になっていた」ため、田口氏と姉は出口にたどり着けず、8行め「窓からプラットホームに飛び降り」ている。
 この父の郷里の町で12~13行め、まづ「営んでいた旅館の帳場にどっしりと座っていた/伯父に挨拶したのち、とりあえず居候させてもらうことになっていた親戚の家に向か」う。226頁2~3行め、その「従姉妹の家は、川沿いではなかっ/たが、道に面した商家の造り」、商売は5~6行め「若/い主は出征」中で休業状態、227頁3行め「従姉妹には幼い子どもが二人いた」とあるから「従姉」と書くべきであろう。この家の家族は他に、226頁8行め「喘息持ちのお祖母*1」が登場するばかりである。
 227頁4行め「なぜか女学校への転入手続きが遅れて」、居室になっていた、10行め「二階の部屋」で、4行め「春先ののどかな日々を、なすこともなく‥/‥しばらくの間過ごしていた」とき、13行め「少し前の時代までの分厚い婦人雑誌」を眺めたりするのだが、14行め「木暮三千代」は「木暮実千代」が正しく、228頁2行め「明日待子」のルビ「あしたまちこ」は「あしたまつこ」が正しい。
 231頁9~11行め、

 やがて駅に近い一軒の家が借りられることになり、それまで世話になった従姉妹の家から引/っ越した。手荷物だけだから移ったというべきかもしれない。その頃は学校への転校手続きも/終わっていたのか、私はようやく汽車通学で県立女学校へ通うことになった。


 232頁2~4行め、

‥‥、朝夕の汽車は順調に走っていたし、さすが県立の学校は先生も校舎のしっかりして/いて授業はつづけられていた。だが、やはりそれも束の間で、そんな日々は長くはつづかず、/またすぐに、学校内に工場の機械が運び込まれ、校舎は「学校工場」になってしまった。‥‥


 そして、233頁6行め「ある夜半、警報が鳴り響」いたことで、7行め「ほとんど着の身着のままで」8行め「街のどこにも防空壕はない」ような町から9行め「地元の人びとの流れについて、母を先頭に闇雲に歩いて避難し」て行くうちに、10行め「いつの間にか私たちだけで河原の土手を歩いてい」ることに気付く。そこで11行め「遙か北の空が真っ赤に焼けているのが/見えた。私がまいにち通っていた都市が、丸ごと焼けた大空襲の夜だった。」。
 この辺りの記述が、この田口氏たちが疎開していた、225頁14行め「かつての城下町の面影を残し」ている父の郷里の町が何処であるかを特定する手懸りになる。もうしばらく引用を続けよう。233頁13行め~234頁6行め、

 それは八月十五日の敗戦の日のたった一か月前で、その夜学校の木造校舎も工場の機械ごと/燃え落ちたのだった。
 翌日、北陸線が不通になっていたのだったが、それでも私鉄の電車で一人で学校へ行った。【233】駅から歩きはじめ学校まで行こうとしたが、あたりはまだ燻っていて焼け跡独特の臭気が立ち/込めていた。私はその惨状の街を突破すべきか否か、かなり迷いながら歩をすすめたが、あた/りに警防団以外に人影はなく、焼け落ちた家の道端に、立ち上がって歩けるのではないかと思/えるような、うつ伏せになった姿もまだあって、道の半ばでようやくあきらめ、踵*2を返して家/に戻った。
 また私には、学校へ行けない日がしばらくつづくことになった。


 石川県が「都市が、丸ごと焼けた大空襲」の条件から外れる。そうすると昭和20年(1945)7月19~20日の福井大空襲か、8月2日未明の富山大空襲と云うことになるが、大空襲に遭った「都市」が「北」に当たっていること、そして北陸本線が止まっても私鉄が利用出来ると云う条件に富山市は合致しない。時期も「半月前」か「二週間前」と云うべきである。
 北陸本線鯖江駅から汽車)とほぼ平行する福武電氣鐵道(現、福井鉄道福武線)の西鯖江駅から北へ、終点は福井新駅(現、赤十字前駅)。福武電気鉄道沿線の町としては南の起点・武生新駅(現、越前武生駅)のある福井県南条郡武生町(現、越前市)もあるが「城下町」の条件に合致しない。鯖江は間部氏五万石の城下町であった*3。「県立女学校」は福井縣立福井高等女學校で、戦後、福井県立福井中学校と統合されて現在、福井県立藤島高等学校になっている。そして福井高女の跡地(福井市御幸2丁目25番8号)は現在、福井県立高志中学校・高志高等学校となっている。
 福井新駅からでは福井駅から歩くより3倍ほどの道のりになるが、その間に罹災した地域を通過するうちに登校しても仕方がないと悟ったらしく、学校が焼失したのを確かめてから引き返した訳ではなさそうだ。(以下続稿)

*1:ルビ「ばば」。

*2:ルビ「きびす」。

*3:但し城ではなく陣屋。