瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

わが世代『大正十年生まれ』(2)

 昨日の続き。
 本書の内容と編集については、252~253頁「編集後記」に詳しい。冒頭、252頁2~7行め、

 シリーズ『わが世代』は、第一回の「昭和十三年生まれ」にはじまって、昭和二十二年、昭和六/年、昭和三十一年生まれと続いてきたが、今回はじめて大正生まれの巻を刊行する。世代の差に相応/して、既刊の昭和各年生まれのものとは、かなり様相を異にする本ができ上がった。
 まず第一に、本文の体裁、組み方を大幅に変えた。既刊はすべて、主文は8ポイント活字の二段組、/コラムその他の読物は7ポイントであったが、本書は主文は9ポイント、そのほかは8ポイント活字を/使用した。つまり、活字をひとまわり早く大きくしたのである。その理由は言わずもがなであろう。


 252頁8行め~253頁10行め、この「あとがき」の大半(17行)が「第二」の特徴に充てられている。252頁13行めまで抜いて置こう。

 第二に、既刊では、いずれも子供時代に最も多くのページを割いたが、本書では青年時代が一番長/くなっている。本シリーズでは、各巻の編集の出発点として、まず当該年生まれの方々に集っていた/だき、座談会を何度か行うことにしている。これで紙面の大まかな割りふりを決めるのであるが、こ/れまでは、談が最も活発になり、時間を忘れて語り合うといった趣になるのは、たいてい子供時代の/話であった。ところが、大正十年生まれの方々の尽きせぬ思い出話は、もっぱら青年時代に集中した。/青年時代、言いかえれば戦争時代である。


 この書き方からも察せられるように、本書には座談会は収録されていない。座談会出席者をどうやって選ぶのか、それもよく分からないが、とにかくそこで執筆者の選定も行ったらしい。
 9ポイントの「主文」は五行思想に当てて、目次に拠れば、
  水の時代 〈大正10年(0歳)/昭和8年(12歳)〉     杉山芳之助 21
  木の時代 〈昭和9年(13歳)/昭和16年(20歳)〉      小川守正 75
  火の時代 〈昭和17年(21歳)/昭和20年(24歳)〉      石坂欣二 113
  土の時代 〈昭和21年(25歳)/昭和31年(31歳)〉      小寺正義 197
  金の時代  昭和54年(58歳)      菊地一雄 223
の5章に分かれているが、確かに21~24歳の分量が多く、その前後も含めると半分以上が青年時代である。但し後述するように、8ポイントの「コラムその他の読物」や6ポイントの「年表」等の資料が挿入されているので、章の全てが「主文」執筆者の文章で埋められている訳ではない。「主文」執筆者は全員男性で、いづれも戦争の影が差している。
 余白は殆どなく、各章とも次の章の前の頁まで詰まっている。なお「金の時代」は244頁まで。他に1~2頁(頁付なし)河出書房新社編集部「はじめに」、3~6頁「目次*大正十年生まれ」、7頁(頁付なし)中扉、9~19頁、藤原審爾「わたし大正十年生酉年」。245~249頁「大正十年生まれ人名簿」3段組、250~251頁、大久保孝「従七位(あとがきにかえて)」。
 ここで、このシリーズの各冊の、刊行年の1月1日現在(と云うか前年の12月31日現在)での満年齢を示して置こう。『昭和ヒトケタ第一学年』のみ年度なので、刊行年度の頭での満年齢を示した。
・『昭和十三年生まれ』 1938年生、1978年9月刊【39歳】
・『昭和二十二年生まれ』 1947年生、1978年11月刊【30歳】
・『昭和六年生まれ』 1931年生、1979年4月刊【47歳】
・『昭和三十一年生まれ』 1956年生、1979年7月刊【22歳】
『大正十年生まれ』 1921年生、1979年8月刊【57歳】
・『昭和十一年生まれ』 1936年生、1979年11月刊【42歳】
・『昭和四年生まれ』 1929年生、1980年1月刊【50歳】
・『昭和十六年生まれ』 1941年生、1980年3月刊【38歳】
・『大正十五年生まれ』 1926年生、1980年5月刊【53歳】
・『昭和二十年生まれ』 1945年生、1980年8月刊【34歳】
・『昭和八年生まれ』 1933年生、1980年10月刊【46歳】
・『昭和二十六年生まれ』 1951年生、1981年2月刊【29歳】
・『昭和三十五年生まれ』 1960年生、1982年1月刊【21歳】
・『昭和ヒトケタ第一学年-昭和二年遅生まれ・昭和三年早生まれ-』 1927年4月~1928年3月生、1982年11月刊【54歳】
・『昭和二十九年生まれ』 1954年生、1987年1月刊【32歳】
 既刊は30代が中心であったから、まだ「青年時代」は回想の対象にならなかったのであろう。かつ、学校生活は格差があっても一応、小学校は全国民一律だったけれども*1、戦争体験は学歴以上にこの世代に共通するものとして重くのし掛かっていたのであろう。(以下続稿)

*1:戦後しばらくは中学校(新制)まで、そして現在では高等学校まで。